《即位十三年九月》
一国の最高権力者である二十三歳の青年は、庭園の散策をしていた。
咲き誇る花々の種は千を数え、時折吹き降りる風にその花弁を揺らす。
皇宮最奥部。皇族のためだけに在る花園。
あらゆる警備網はここに端を発し、ここを守るために集約する。
青年の背を流れる艶やかな濃褐色の髪はゆるゆると風をはらみ、千々に空へと舞い上がる。
晴天。
抜けるような、空の青。
青年はしばし、その空を見上げる。
唐突に、射出音。
二機のストームソーダーが力強い軌跡を空に刻む。
やがて、彼方へと消える。
後には、鳥もない、孤独。
ただ風だけは空を我が物顔に吹き、すべてを掻き乱して去っていった。
―――この日、ガイロス帝国皇帝ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世は、ある勅令の書に玉璽を押した。
元帝国軍務大臣ダンザー・フォン・ヒンデンブルク以下数十名の将校たちの階級剥奪と解職を命じた勅令である。軍部の横領・横流しの確たる証拠の列挙と共に示されたそれは、『帝国軍旧上層部の大解雇』と囁かれるほど広範囲にわたるものであった。
皇帝は、戦中から行われてきた軍組織による物資の横領・横流しに対し、強い姿勢を取った。
外戚にあたる貴族をも処罰の対象としたその勅令は、反発と支持の両極端な波紋を呼ぶこととなる。
同時に、軍部の不安定さが政権の不安定さにつながるとも危惧された。一説にはクーデター計画の存在が流布されたほどである。
だが当時の軍務大臣により、軍部は見事にコントロールされていった。軍務大臣は、名門シュバルツ家出身のカール・R・シュバルツ将軍。皇帝の皇太子時代の戦術教官であり、腹心と目される臣下である。
即位七年、皇帝の勅命による異例の昇進――軍務大臣就任は、皇帝の思惑の予見であった、との見方もある。
一時期の休養期間を挟み、軍務大臣は軍部の綱紀粛清に尽力した。
《即位十三年十月》
年を、取りすぎている。
女はそう考えて、息を深く深く吸い、長く長く吐く。
女の店の奥は、表の商売の骨董屋に比べて薄暗い。
エウロパ大陸は共和国領、山岳地帯のふもとの街で、規模もさして大きくはない。路地の小道、知る人ぞ知るこの店の裏家業は、その業種からも顧客は裏業界の人間に限定されている。
だから今日など、朝から客は一人も来ていない。
カウンターの奥から骨董置き場の店内を見れば、隙間から差し込む陽光に踊るほこりが乱反射する。
ラジオをつけようとして、やめた。
出かけようかと立ち上がって、やめた。
全国誌から地方紙まで七誌購読している新聞を読もうとして、やめた。
よくよく考えて見れば、今日の分は既に読み切っている。
中身は全て頭に入っている。
ただそれについて考えたくないだけなのだ。
女は、ため息をつく。
ラジオにしろ新聞にしろ、報じる内容は皆同じだ。
麻薬組織の長が逮捕されたのだという。容疑は麻薬密売および入国管理法違反などなど。
女にしてみれば、その長がさまざまな違法行為に手を染めていることなど自明の理である。今になってその長を逮捕する共和国・帝国両国の思惑でさえ透けて見える。
情報を売り物にして糧を得る女にとって、知ることは生きることに等しい。
さまざまな人脈を通しての情報源を持ち、大陸各地の出来事を細部までおさえる。女はこの辺境に、居ながらにして世界を見ている。
女は、ため息をつく。
(因果な商売ねぇ)
情報は自動的に女の手元へと集められる。その種類は多様だ。知りたい話もあれば、聞かなければ良かったと思う知らせもある。
訃報は、その類だ。
長年この商売をしていれば、顔見知りもできる。
彼らの顔ぶれは入れ替わり立ち替わりだ。そのうち生きて引退する者はごく少数。大半はどこで死んだものやら、彼女にも分かりはしない。消息が途絶えた場所と時期に検討をつけてみるだけだ。
(戦争が終わったから、案外生き残るんじゃないかと思ったんだけどねぇ)
四ヶ月前、顧客の一人が死んだ。
死んだ場所も時期も分かってしまった。流石に顔を顰めた。
その男とは長い付き合いだった。
彼がまだあどけない少年の頃からの付き合いだった。
(ゾイドの腕はピカイチのくせに、この業界のルールなんてのは全然知らなかったっけね)
一から仕込んでやれば、不貞腐れながらも学んでいった。
青年の頃には、軍人の女を連れてきたこともあった。
良い人かい、とからかってみたりもした。
(その子も結局死んだ。あの子に殺されて、幸せだったかね)
そうして女は、ふと思いだす。
(ああ、あれもそういえば密輸の話だった)
年を取りすぎている。
女はそう思い、ため息をついた。
―――アリスン・ハンテッドはGFの協力により、ヘリック共和国において逮捕された。
共和国における裁判は三審制。一審はその地域の市民より構成される陪審員による裁判である。
被告人は裁判で刑が確定するまでは無罪とみなされる。
大陪審において起訴された彼女は、罪状認否手続きにおいてその容疑を全面否認する。
その無罪答弁は自信に満ちたものであったという。
これにより、訴えを起こされた地方裁判所では陪審員の選定に入ることとなる。
アリスン・ハンテッドは豊富な資金を元に第一線で活躍する弁護士を雇用。対する検察側もGFの『大物』を証人にすると地元メディアに公表。
その下馬評は無罪・有罪五分五分であり、裁判は長期に渡ると予測された。
ウインドコロニー・教会の裏の丘の墓地。
「私はひどい女です」
墓に花がたむけられる。
砂漠の中でオアシスを頼りに生きる村人たちは、今日も水を引き、地を耕して生きる。丘から見下ろす畑は小さくとも地味に満ち、その麦の穂を垂らしてはもうじき来たる収穫の時を知らせる。
マリアは墓にひざまずく。
古ぼけたその墓は父の墓であり、隣にはさらに苔むした母の墓が並ぶ。
たむけた花束は吹きぬける風にそよぎ、花弁が一枚、砂漠へと飛び去る。
「私はひどい人間です」
マリアの背を、夫である牧師は眺めることしかできなかった。妻に請われてここまで来たものの、牧師は何も言うことができなかった。
マリアは立ち上がり、その口の端を歪める。
「私は、安心してしまったんです」
微笑んでいるのだ。
涙を浮かべて。
「死んだのがあの子でないと知った時、私は嬉しかったんです」
風がマリアの髪を巻き上げ、牧師のローブの裾をはためかせる。
「私は、ひどい人間ですね」
夫は何も言わず、風にずれた眼鏡を直して十字を切った。
―――全滅した輸送小隊の合同葬儀は、アリスン・ハンテッドの裁判の結果を待つことなくGF基地にて執り行われた。
出席者はGF関係者や隊員の家族のみならず、ヘリック共和国・ガイロス帝国からもいた。襲撃事件に、元共和国軍の隊員や帝国の技術者がいたためである。
葬儀の様子はマス・メディアに公開された。襲撃事件を大々的に公表し、両国の世論を『密輸・麻薬撲滅』へと向けるためでもある。
公開に際して、死亡した隊員の氏名は公表されなかった。遺族を撮影することも禁止された。組織からの報復が、その家族に及ぶのを防止するためとみられた。
葬儀に遺体はなく、遺品が代用として使用された。
葬儀後、関係者が雑然と動き回る中でバン・フライハイトGF隊員とオーガノイドのジークは探しものをしていた。
正確には人を探していた。
手近な帝国関係者に聞けば、尋ね人はゾイド格納庫に向かったという。
あそこかな、と見当をつけて歩くこと五分で目的地にたどり着く。
ここはゾイドが外へ出るための出入り口で、バンが立ち止まったのは格納庫の扉の外側、つまり太陽が照りつける炎天下である。
コンクリートの照り返しでとても暑い。
目当ての人物は、そんな日差しの下でも汗一つかいてないようだった。
「シュバルツ」
振り向いたその顔色は、どこか青白い。
渡そうか渡すまいか、バンはしばし逡巡する。
『ヴぁん』
ジークがその鼻先で、バンの脇腹をつつく。
バンは意を決した。
「シュバルツ。これ」
手に握りしめていた物を、カール・R・シュバルツに向かって投げる。
陽光を反射し、それは放物線を描いてシュバルツの骨ばった手の中におさまった。
「………………これを、私に?」
軍帽の下からのぞくシュバルツの目を、バンは真っ向から見返す。
「俺より、あんたに必要だと思う」
バンは奥歯をかみしめ、ジークはその赤い目をシュバルツの手の中の物に向けている。
「ほう」
シュバルツは少し、笑ったように、バンには見えた。
ぎり、と歯軋りをし、それでもバンはきびすを返す。
「行くぞ、ジーク」
『ヴぁん』
数歩進んで、バンは足を止めた。どうしても、今ここで、言ってやりたい言葉を思いついたのだ。
シュバルツに向き直る。
「シュバルツ」
「何だ?」
少しは泣けよ。
そう言いたい気もした。
それは飲み込んで置くことにして、バンはシュバルツに言ってやった。
「あんたは、すごく、アーバインが欲しかったんだな」
カール・R・シュバルツは、結局何も答えなかった。
それ以上何を言う気も失せて、バンとジークはその場を立ち去った。
残されたシュバルツの手の中で、アイスコープ付きの眼帯は陽光をきらめかせていた。
シュバルツはしばらく、その眼帯を見つめていた。
日も暮れた頃合いにバン・フライハイト隊員が再び来た時、そこには誰もいなかった。
ライトニングサイクスが眠る格納庫の扉を見上げ、バンは昂然と前方を見据えて立ち去った。
……ライトニングサイクスの格納庫が再び開かれるまでには、この後二十年の歳月を要するのである。
2002.11.23 脱稿
2010.03.07 改稿