初出 『Todeskampf』 (..発行)
神飛鳥 脱稿 2002.12.28
寿 入力 2010.03.30
※【訃報 ・後】後の時系列。
※神飛鳥(現在は「おお振り」&「バッテリー」サイト[Cross Fire])の許可を得て掲載。
誤字・脱字等の責は寿による。
音もなく雪が降り積もる
彼と世界とを、切り離すかのように――
ベッドに眠るアーバインを見つめる。
彼はまだ、自分の身に起こったことを知らない。
目が覚めたら、きっと怒るだろう。
最悪な裏切りだと、思うかもしれない。
それでも、シュバルツはどうすることもできない。
眠るアーバインの瞼が震えた。やがてそれはゆっくりと持ち上げられ、灰色がかった菫色の瞳が現れる。
ぼんやりとシュバルツを眺め、数度瞬きをした後、やっとシュバルツの顔に焦点を結んだ。
「シュバルツ……?」
甘く掠れた声がシュバルツを呼ぶ。
「どうして、こんなとこに……」
夢の世界と混同しているらしいアーバインに、シュバルツは微笑んで見せた。
寝乱れた髪に手を通して。
「頭痛や吐き気はないか?」
一瞬、意味がわからない、ときょとんとしたアーバインだが、すぐに記憶の糸が繋がったらしく。
シュバルツの手を振り払う勢いで上体を起こす。
毛布がはだけられ、裸の胸があらわになった。
「ッ! てめぇ、どういうつもりだッ!」
シュバルツに掴みかかるためにアーバインがベッドから下りると、一糸まとわぬ足元でかすかに金属の触れ合う音が響いた。
アーバインが視線を向けると、細い銀鎖が目に入った。ずいぶんと長いそれの一端はベッドの足に絡み、もう一端はアーバイン自身の足首で鈍く輝いている。
「シュバルツッ!!」
憎悪に近い感情を湛えた瞳が、シュバルツを射抜く。
薬によって眠らされ、目覚めればどことも知れない場所に監禁されているのだ。当然の反応というべきだろう。
「わかっているさ、お前が束縛を何より厭っていることなど」
「だったらなぜ!?」
今までシュバルツはアーバインに自由を許していたのに。アーバインのために、束縛しようとしないでくれたから、傍にいたのに。
どうして今更になってこんな真似をするのか。
問いに対するシュバルツの問い答えは、アーバインの望むものではなかった。
胸座を掴み上げるアーバインの腕を取り、巧みに身体を入れ替えながら後ろ手に拘束し。
「罠にかかった狼は、自分の足を喰いちぎって逃げると言う。お前には、そんなことをしてもらいたくはないからな」
どこから取り出したものか、拘束した手を手錠で繋ぎ、アーバインをベッドに戻す。
体勢を立て直す暇など与えず、その上に覆い被さり。
深く唇を合わせた。
「……噛み付かないのか?」
舌まで絡めたキスの後、シュバルツは不思議そうにアーバインを見る。
「まだ、何も聞いてねぇからな」
何故こんな行動に出たのかも、この状況の具体的な説明も。
「私はま、ずいぶんと信頼されているようだ」
苦笑がシュバルツの表情を彩る。
こんな行動に出ても、アーバインはまだ、シュバルツを信じている。
「このことで過去形になるかもしれねぇけどな」
「……構わんよ、それでも」
それ以上の言葉は、交わされず。
アーバインを拘束する鎖は、狭くもない家の中を行き来するには十分な長さがあった。
手錠は初日と、シュバルツが買出しなどでアーバインの傍にいられないときに限られた。後ろ手に留めたのは初日だけ。あとはベッドにアーバインを繋ぐために用いられていた。
家の中は完全空調が効いていて、アーバインは服を着ることも許されなかった。
窓から見える景色は、晴れた日には蒼天と白銀の二色に、そうでない日は白と黒の中間色に覆われ、他に目を慰めるものはなかった。
完全に閉じたこの空間で、二人はできるかぎりの時間をともに過ごした。
昼夜問わず、場所を問わず、身体を繋げた。
それが互いを――シュバルツがアーバインを認識する、唯一の手段であるかのように。
狂った生活に慣れるのは、狂気に浸食されていることの証拠だろうか。
閉じられた世界が、崩壊する。
檻の中の生活に、アーバインは狂っていく。囚われることに慣れ、その瞳にシュバルツだけを映し。停滞した風が、駆けることなく澱んでいくように。
そして、狂っていくのは一人だけではなく。
捕らえることに慣れていたのは最初だけ。
独裁者が専制に飽きたのとは違う。
はじめは、微細な違和感。
何に対する?
「なぜ、抵抗しない?」
壊れ物を扱うかのように優しく、シュバルツはアーバインをベッドに押し倒した。腕を拘束する手錠は、今はない。
それでも赤い線の残る内側に、慰撫するように舌を這わせて、シュバルツはそっとアーバインに問うた。
「抵抗しても無駄だろ? 逆に、意地の悪いアンタにお仕置きの口実をやるだけじゃねぇか」
ニヤリ、アーバインは笑う。ここから逃げられないのだから、何をしても無駄なのだと。そうしてシュバルツを拒むことなく、おとなしく囚われて。
「……本当にそんな理由からか?」
逃げられないから。
それが理由だと、本気で言っているのなら。
「こうすれば、お前は抵抗し、逃げるのか?」
足の鎖を、はずして。
覆い被さっていた身体を退く。
「アンタは、抵抗してほしいのか?」
灰色がかった紫の瞳が、まっすぐにシュバルツを見つめた。
「それは、どういう意味だ?」
シュバルツの中で、恐怖にも似た不安が鎌首をもたげた。
直視しなければならないことから、目を背けているような。
「何が言いたい、アーバイン?」
それからさらに目を逸らして、シュバルツは重ねてアーバインに問う。
「もう、わかってるんだろ、シュバルツ?」 いい加減にしろ、と。
似つかわしくない微笑でアーバインが言う。
その表情は、どこかシュバルツに似ていて。
「……わかっているさ、アーバイン」
大きく息を吐き出し、シュバルツはアーバインの上から退いた。
ベッドの端に腰掛け、暗い虚空を見つめて。
「お前のことなど、考えなければよかったよ」
闇に抱かれて独白する。
闇の中には、シュバルツが一人。
アーバインの姿などなく、世界を閉ざしていた雪も消える。
すべての幻が、色褪せてかすれていく。
現実が、音を立ててよみがえる。
その音に耳を傾けながら、シュバルツは誰にともなく語りかける。
お前のことなど、考えなければよかった。
自分のことだけ考えて。
お前の自由を守ることなく。
もっと早く、こうしてお前を閉じ込めていたなら。
きっと、お前も私も狂ってしまうだろうが。
私の愛したお前はいなくなり、お前が傍にいようとしてくれた私も消えるだろう。
それでも。
「お前を死なせることは、なかったのかもしれない」
初出 『Todeskampf』 (..発行)
神飛鳥 脱稿 2002.12.28
寿 入力 2010.03.30
※【訃報 ・後】後の時系列。
※神飛鳥(現在は「おお振り」&「バッテリー」サイト[Cross Fire])の許可を得て掲載。
誤字・脱字等の責は寿による。