「よくある仮定の質問だが……」
 シュバルツの私邸の食堂で。
 何をやっているのか、なかなか来ないシュバルツを待ちながら、アーバインはトーマに話し掛けた。
「フィーネとお前の兄貴が崖から落ちようとしている。どちらか一人しか助けられないとしたら、お前はどちらを助ける?」
 突拍子もない質問だと、アーバイン自身も自覚しているようだが。
「フィーネさんに決まっているだろう」
 なぜそんなことを訊く? などとは言わず、トーマは即答した。
 即答しておいて、何かに気付いたみたいに瞳を揺らす。
「どうした?」
「撤回する。兄さんだ」
 なぜ、と理由を訊いてやると、ためらったようにまた瞳が揺れた。
「女性から助けるのが当然だ。それに、兄さんなら大丈夫だと思った。でも……」
「でも?」
「フィーネさんを助ける奴は他にいる。だったら俺は、兄さんを助けなければいけない」
 こころなしか、思いつめた表情でトーマは言った。痛みを堪えるのにも似たその表情に、アーバインはふとトーマをいじめているような気になる。
 そんな瞬間に。
「私の弟をあまり苛めないでくれないか?」
 涼やかな声がしてシュバルツが現れた。
 絶妙のタイミングに、しばらく前からこの場の様子を窺っていたことが知れる。
「面白い質問だな、アーバイン」
 面白がっていると言うよりは、画策する表情でシュバルツは言う。
「まるきり同じ質問では芸がないかな?」
 アーバインの表情を窺いながら。
 良くないことを企んでます、と自己主張する微笑を浮かべて。
「そうだな……。私とバンだった、お前はどちらを助けるのかな?」
 思いもかけない人名に、トーマの瞳が見開かれた。
 微笑を浮かべるシュバルツとは対照的に、アーバインは舌打ちを噛み殺す。
 シュバルツとアーバインのことは知っているトーマだったが、こんな言い方をしては、バンとも関係があったかのような印象を与えてしまう。
「バン、だな」
 余裕の表情を作ってアーバインは答えた。これで少しはダメージを与えられたかと思いきや。
 シュバルツの顔に浮かんだのは、やはり、という笑み。
 だからだろうか、訊かれてもいないのに理由を付け足す。
「アイツを、『英雄』の一人を、俺の勝手で 死なすわけにゃあいかなぇからな」
「成程。お前らしくない理由だな」
「放っとけ。……ついでだ。アンタも答えてくれるよな? 俺とトーマなら、どちらを助ける」
 トーマは両方ともいないところで、アーバインは片方を前にして答えた。
 双方がいるところで、シュバルツはどんな答えをだすのか。
「トーマだ」
 即答に、兄さん、とトーマが声を洩らす。喜色満面という声だ。
 それには何の反応も示さず。
「トーマを助けたあと、私も一緒に落ちてやるよ、アーバイン」
 だからそんな顔をするな、とシュバルツは続けた。
 兄さん、先程とは違う響きで弟は兄を呼ぶ。
 アーバインは。
 トーマとは別の意味で、その言葉に衝撃を受けたようだった。
 一緒に落ちる。
 その言葉の響きに、悪くないと、思ってしまって。
「だったら!」
 甘美な誘いを振り払うためか、アーバインは声を張り上げた。
「だったらエリスと俺なら……?」
「同じことじゃないのか?」
 答えるシュバルツの方が平然としている。
「婚約者一人残して、俺と死ぬのか?」
「その婚約もすでに破棄したとあってはな。別段、こだわってみせる必要もないだろう?」
 そうあっさりと微笑んで。
「だから、トーマとエリスなら、私は迷わずトーマを助けるだろうな」
 その微笑をそのままトーマに向けた。
「じゃ、なんで俺は助けないんだ?」
 嫉妬したとか、そういうわけではなく。
 純然たる興味で、アーバインは訊いた。
「お前が私だけのものになる絶好の機会を、私が逃すわけがないだろう?」
 シュバルツだけのものになる絶好の機会。
 逆に言えば、死なないかぎり、アーバインは誰のものにもならない。
 シュバルツが言いたいのは、そういうことだろう。
「ずいぶん勝手なこと言ってくれるな?」
「質問が悪いからな。それより、早く食事にしないか? 食堂は議論をするところではなく、食事をとるための場所だと思っているのは、私だけか?」
「うるせぇ。テメェが遅れてきたのが悪いんだろうが」
 こんな妙な話になったのも、とアーバインは胸中に付け加える。
 そんなところまでもお見通しであるかのように、シュバルツはすまない、と笑った。
 全くそうは思っていない笑顔で。


 食事を終えたアーバインは、なかば拉致されるようにしてシュバルツの私室へ来ていた。
「話ってのは、さっきの続きか?」
 窓から庭園を見下ろすシュバルツの後ろ姿に、アーバインは声をかける。
「何か、気に食わないことでも、あったか?」
 挑発をたっぷりと含んだアーバインの口調に、振り返ったシュバルツは艶然と微笑む。
「気に食わないことなんて、あるわけがないだろう? お前を呼んだのは、お前が私ではなくバンを助ける理由を聞きたかっただけだよ。あんな、いかにも用意しておきました、という理由ではなくてね」
 先程アーバインが言った理由は、組織に属するものの言葉としては完璧である。しかし、それではアーバインではない。
「年の順に死んでいくのが、自然の流れってモンだろ?」
 シュバルツの内心などまったく斟酌せずに、アーバインは言い放つ。
「喧嘩を売ってるのか、アーバイン?」
「俺は、そんな命知らずじゃないつもりだけどな」
 双方共に笑顔である。頬の筋肉を意図して動かして、作り出した微笑。
 凍りついたような時間が過ぎて。
 先に真顔になったのはアーバインだった。
「マジな話、ガキが一番あの世に近いってのは、ゾッとしねェからな」
 アーバインの口調に感じるところがあったのか、シュバルツも微笑を消した。
「アンタとアイツを比べると、アンタの方がリアリストだ。アンタは現状を見て、一番良い方法で対処するだろう。少しでも長く、生き延びるために。でも、バンの野郎はそうじゃねェんだ。アイツは、自分が道半ばで倒れねェって確信してやがる。だからきっと、自分から崖下に落ちていく。そんなことは、もう、させちゃいけねェし、見たくもねェ」
 言葉を選びながら、アーバインは訥々と語る。本心に近いところまで。
 脳裏をよぎるのは、バンの、無謀とも思える行動の数々。
 バンは、いつだって自分から崖下に飛び込んでいった。
 根拠のない、確信を以って。
 二度の、デスザウラーへの体当たり。
 ガキに、そんなことをさせてはいけなかったのに。
「なぁ、俺たちはいつから、アイツを戦士として扱っていたんだ? いつから、あんなガキを頼りにしていたんだろうな?」
 アーバインの言葉に、シュバルツは応えない。答えられないのではなく。
 シュバルツにとっては、バンが前線に存在することは当然のことであった。
 それをできるだけの能力を有するものが、それを行う。それのどこに、罪悪感を抱かなくてはならないのか。
 もちろん、アーバインの言いたいことも理屈ではわかる。しかしそれは戦場に持ち込んでいいものではない。戦場は、あらゆる感傷を拒み、時には弱みとする。それを知らない軍人はないし、かと言って戦場以外の場所でもそれを拒むシュバルツでもない。
 アーバインとて、本当はわかっているはず。
 それを知るから、シュバルツは何も応えない。
 その代わりに。
「バンがそう成長した一因は、お前にあるのだろう?」
 もちろん、バンの父親のこともあるのだろうが。
 出会い、行動を共にする中で、小さくはない影響を与えたはずだ。
 ならば。
「そう罪悪感を抱くことも、ないと思うが」
 後ろめたさを感じる必要は、ない。
「年の順に死んでいくのが、自然の流れだと言ったな、アーバイン?」
 アーバインの言葉を、シュバルツは繰り返し。
 シュバルツの真意に気付かないアーバインに微笑んで。
「なら、私より先に逝くことは、許さない」
 薄緑の瞳にだけ、真摯な色を浮かべる。
「言われなくっても、棺桶に入ったアンタを嘲笑うのが楽しみなんだ。先に死ぬかよ」
 シュバルツの瞳の色に気付かないように、冗談めかしてそんなことを言い。
 それでも最後に一言だけ。
「……あんたに殺されるってのは、有りって気がするけどな」
 紫暗の瞳を伏せて、そう言った。






 

初出 『Agonie』 (2002.08.09発行)
神飛鳥 脱稿 2002.08.09
寿   入力 2010.01.20
※【訃報 ・前】後の時系列。
※神飛鳥(現在は「おお振り」&「バッテリー」サイト[Cross Fire])の許可を得て掲載。
誤字・脱字等の責は寿による。