バン・フライハイト隊員がGF基地の自室に戻ると、自称賞金稼ぎ・他称盗賊のアーバインが簡易ベッドで寝ていた。
ブーツも転がっていた。まだ夕飯前である。さあ飯を食いに行こうと思って、ちょっと部屋に立ち寄った時だった。
レイヴンにコマンドウルフを破壊され、すったもんだの変遷を経て、帝国が秘密裏に開発した最新ゾイド・ライトニングサイクスの搭乗者となった彼は、今ではすっかりGFの民間協力員である。個室を持っているバンの部屋に転がり込んできたわけだ。給料は出ないが報酬は出る。訓練や出動など、ゾイド搭乗回数による出来高払いである。
(アーバインが寝てるとこってひさびさに見たな〜)
バンが近寄っても全く起きない。規則正しい、ゆっくりとした寝息だ。かなり深く眠っている。
(サイクスの整備ばっかやってるからな)
周囲にとっては、不安になるくらいに。
整備を手伝えば普通に殴ってくるし、訓練をすれば攻撃の仕方はかなりきわどいし、実戦となれば基地の戦闘分析担当を唸らせる腕前だ。何も変わった素振りを見せないが、それでも整備ばかり根を詰めてやっている。ライトニングサイクスは帝国の最新ゾイドだ。専門家でなければ手を出せない個所も多いが、それにも首を突っ込んでいるようだ。かなりしつこい、と整備担当がバンに愚痴った。アーバインには怖くて言えないらしい。
(なんてったってなぁ)
どうしてそこまでやるのか聞いたら、
『てめぇの命を預ける相手だぜ、俺がいじれなくてどーすんだぁ? 他人の手を借りなきゃ分かンねぇブラックボックスがいざって時にブッ壊れたら、誰が俺の命を保証すんだよバァカ』
と、心底呆れられた。
聞けなかったが、きっとコマンドウルフにもそうだったのだろう。
ムンベイも同じような事を言っていた。
『大きな荷物あるし、旅の途中でゾイドが立ち往生したらどうしようもないからね、だいたいのことは独りで出来なきゃ。必ず街の無い所で故障すんのよこれが。ホント参るわーあれ』
アーバインは一匹狼の賞金稼ぎだ。
戦闘をすれば、故障回数も多くなる。独力で何もかもしなければならない。
(俺はなぁ。フィーネもシールド改良してくれるし、整備班もジークが見たくてしっかりやってくれるし)
白いオーガノイド・ジークは、マニアにとって一分の一スケールの動くドール。もうアイドル顔負け。
(疲れるよな、一人じゃ)
ベッドに腰掛けても、アーバインは目を覚まさない。
いい機会なのでじっくりアーバインを観察してみる。ゴリラ呼ばわりされるがハーマンほどごつくない。薄褐色の皮膚と、筋肉が適度についた腕と、その先には骨ばった手指が続く。マメができている。操縦桿を素手で握るからだろう。
(破れると痛いんだよな。手袋しないのか?)
視線を上げる。張った鎖骨から頚動脈を辿っていく。顎の骨の曲線を登りきると顔だ。トーマほど凹凸はない。
(あ、でこだ)
バンダナも眼帯も取っているので、額がきれいに出ていた。
(アーバインだってガキっぽいじゃんかよ)
目を閉じてしゃべりもしないから、雰囲気が変わって幼く見える。
(目の色が結構きれいなんだよな)
薄紫の色だ。ルドルフが、
『菫の花の色ですね』
と言っていた。
砂漠では花自体を滅多に見ないから、バンはその花を見たことがない。
『色の薄い目は砂漠の強い照り返しに弱いはずです。だからああやって眼帯をしているのでしょうかね?』
とも言っていた。
これだけ見ていてもアーバインは目を覚まさない。
寝苦しいのか、すこし口が開いた。下唇が、ちょっと濡れていた。差し込む西日に赤く反射した。
(あれ?)
息苦しくなった、と思ったら心臓の音がやたらうるさく耳につく。
(え? おい?)
赤く染まった唇を、もう少し、近くで……。
見たいと意識する前に既に近づいて行っていた。アーバインの呼吸が聞こえて、息がかかる……。
寸前でアーバインが寝返りを打った。
慌てて離れた。
ドキドキドキドキドキドキドキッ
異常に鼓動が速い。耳が熱い。火照る。
(俺、どうしたんだ?)
見下ろすと、アーバインの首筋があった。普段は後ろ髪で隠れている、うなじ、というやつだ。
柔らかそうだった。かなり。
何故だか唾を飲み込んだ。ゴクリ、とやたらに響く気がする。
今度はゆっくり、息を止めて、両手をアーバインの頭を挟むようにつけて、覆い被さって、うっすら見える血管に口を寄せて……。
体温が、僅かに、伝わる。温かい。
柔らかい皮膚を、軽く、噛む。少し舐めて、ぴちゃり、音が立つ。
もう一度、湿った皮膚を噛んで、舐めて、額を寄せて、鼻で嗅ぐ。
(アーバインのにおいだ)
硝煙と油と、入り混じったにおいがする。
体を起こす。
まだ寝ていた。
跡が残っていた。
血が逆流する。頬が赤くなるのが分かる。
(うわ、どうすんだよ)
ヤバイ、と思って、しかし柔らかさに負けてもう一度と思って、また近づいて……。
ぐぎゅるるうぅぅ
腹の虫が鳴った。
血が顔から引いた。
バンは身を起こした。時計を見た。夕飯真っ盛りの時間だった。鼻を嗅いだ。芳ばしい肉の香りがした。ウマソウだった。
「腹減ったなー……」
アーバインをもう一度見た。よく寝ていた。起こすのも悪いと思えた。
「メシにしよ」
バン・フライハイト隊員は首をかしげながら部屋を出ていった。
まだまだ、色気より食い気な少年だった。
―――首筋に付いた鬱血を見てアーバインが頭を抱えるのは、この夜のことである。
2001.12.26 脱稿
(初出:『Days』より)
2008.11.09 改稿