―――ステップは、中央地域の砂漠ほど無法地帯ではない。砂漠ではオアシスを中心としたコロニー内でしか法の支配が及ばないが、ステップでは少々趣が異なる。
 ステップでは十数もの部族が遊牧のため季節により移動しているが、かれらの移動範囲がそのまま勢力範囲であり、法治下なのである。勢力内で起こった問題は、勢力部族の法で裁かれる。法というより、部族独自の掟に近い。


「今あたし達がいるのはこの街道沿い」
 星降る夜空を見上げる夜営。
 グスタフを風避けにし、携帯コンロでコーヒーが湧く。
「で、明日会う相手がいるのが、ジャムジャラン族族長。この街道の最初っから高山地帯前の峠までを管理してる最大部族ってわけ」
「どんな奴なんだ?」
「奴呼ばわりしないの。相手はここらの王様よぉ? 下手〜に下手〜にでなきゃ」
 コーヒーがマグカップに注がれ渡されていく。
「評判は悪くないわよ。ただ何て言うか……」
「何て言うか?」
「ゾイド馬鹿。あんたと同じよね。ジークなんか見たら、『ぜひ譲ってくれ』って言うわよ」
『るヴぁv』
 遠く砂塵は舞い、星明かりに綺麗めく竜巻となって空を鳴らす。


―――ステップではそれぞれの部族の掟が支配するため、帝国や共和国の法律は通用しない。両国では御禁制の物品も、ここでは堂々と売買される事がある。


「それで、娘御よ、用件は何か」
(……間近で見ると、キョーレツだな……)
 ジャムジャイン族の夏季キャンプ地。地平線には、草を食んでいるだろう家畜が豆粒のように見える。獣皮でできたテントは思ったほど暗くなく、煙穴から覗く青空が曖昧な明るさを保たせていた。
「はい、祖を持つ遠き父よ」
 ムンベイはこれ以上ない神妙かつ真剣な顔をしている。様式化された挨拶は、部族同士での礼節を守り抗争を防ぐ為にステップ生まれの子供がまず習うことである。ここで相手の機嫌を損ねれば、交渉が始まらない。
(フェイスペイントで皮膚が見えないってのは、初めてだよな〜……)
「あなたがたが動物を育てるこの地で行われていることについて、意見を持つ者がいるのです」
 族長は短躯の男だ。
 初老であるが、いまだに現役のゾイド乗りでもある。
(色が凄いよな、色が)
「この者は血族の盟友ではありませんが、わたくしの友であります」
(紫の下地に銀の模様って、どーなんだ?)
「我々も、直接の面識はないが、その者の名を知っている」
「それは喜ばしい。……バンっ」
「(派手ってこーいうことを言うんだな〜、ってやべ)、お目にかかるのは初めてかと思う。俺の名はバン・フライハイト、こちらに血脈を持つ者ではないが、あなた方に害なす者でもない。どうか俺の話を聞き届けて欲しい」
(あー良かった。とちらずに言えたぜ。っていうか、俺こーいうのやなんだけどなー隊長)
 昨晩三十回以上は練習した甲斐があるようだ。


―――クルーガーGF隊長が陣頭指揮を取る、ということは、GFが対象案件に本腰を入れ始めた事を示す。ステップを介して行われる密輸については、近年その取引量・種とも増加が著しい。両国ともに取締りには苦慮しているのだが、いかんせんステップは法治権外である。
 ならば直に話をつけようと、ステップのある部族長の娘であるムンベイを交渉人に、フライハイト隊員は各部族を歩き回る次第となったのだ。


 新月の夜。
 かつて栄えた前時代の遺跡は黒々とその口を空け、愚かな侵入者を待ちうけている。ステップの中でも幾つかの遺跡は各部族によって聖地として管理され、盗掘対策としてトラップが仕掛けられている。中の構造がその部族の成人にしか分からない。迂闊に入れば屍となって獣に食われる。
「……共和国での薬の汚染ってのは、そこまでひどいのかい?」
 ブレードライガーは遺跡の二`b北の小高い丘に身を隠し、その駆動音を潜めている。
 ムンベイは後部座席からバンに尋ねた。
「あぁ、……首都じゃ、ないんだ。もっと辺境の、デススティンガーにやられた地域とか、あんまり豊かじゃない所に広まっちまってさ。後手にまわっちまったんだ。そういう所って、ただでさえ目が届かないのに、ニューヘリックシティは自分のことで手いっぱいだったろ?
 気付いた頃には、村一つが全員……ってとこもあったよ」
 じっと前をむいたまま、バンは続ける。
「ほんと、気持ちはわかるんだよな。働いても働いても、飢え死にする子どもが出るんだよ。砂漠だとか、土地が良くない所ってな。それでもやっぱりそこで生きていくほかなくってさ、どうしてもつらくて、……薬を頼るんだよな」
「そうかい」
「楽しい気持ちでいられるし、…楽しい気持ちで死ねるんだ。あーいう所でさ、薬、長くやる奴って、あんまりいないんだ」
「どうしてだい?」
「ずっとやってられるほど金ないから。薬が切れるのが怖いんだ。死ぬほうが怖くないんだってよ。致死量打って、あっという間さ」
「…そうかい。そりゃ、ねぇ」
「……俺は、子どもたちには、ひもじい思いはさせたくないなぁ……」
「そういえば元気かい?」
「元気元気。おとといなんか、アーバインにまとわりついて離れなかったぜ」
「あいつも面倒見いいからね〜」
 PILLLLLLLLLLLL
 ブレードライガーのスクリーンが起動し、二`b先の遺跡を拡大投射し始める。
「来た! ムンベイっ、レンズ合わせてくれ!」
「まかせなさい!」
 オプションで取りつけられた高性能望遠カメラが焦点を絞る。その映像がスクリーンの一部に立ち上げられ、遺跡にうごめく人影を捕らえる。
「来た来た来た来たっ……ムンベイ、暗視スコープは?」
「ばっちりよ、そっちは?」
「ん、スナイパー用に調整されてるから、こっからでもきっちり当たるぜ」
 カメラは十数名ずつの二つの集団を映し出す。
 映像の解像度はかなりの高く、人物の容貌まで鮮明だ。
「…………さぁ〜出ておいで〜密輸の親玉ちゃん〜、ムンベイ姐さんが激写してあげるわよーー……」
 ブレードライガーの機銃が、片方の集団から出てきたひとりの男を捉える。
「バン」
「わかってる、あいつじゃない。あの、ボディガードに守られてる奴だ」
 標的は小柄で、なかなか補足できない。
 手間取るうちに取引は進み、密輸品の引渡しが始まる。
(くそっ……早く、早くもっと前に、出て来い…)
 一秒が、長い。
 ブレードライガーのコクピットの中、自分の鼓動がやけに響く。
 照準が、…………標的を捉えた!
「行けぇ!」
 ブレードライガーが無数のペイント弾を発射した。


「ムンベイっ着弾前に暗視装置切っておいたかよっ?」
 砲弾がブレードライガーの右で爆発し、大地をめくりあげていく。
「まっかせなさいっ、ばあっちりよ! ペイントが当たる前に切って、発光塗料が塗りたくられてから撮ったわ!」
「オッケィ! こいつで奴は有罪さっ」
 岩を遮蔽物にしてプテラスの機銃掃射をかわし、走りつづけるブレードライガー。
「いっつも身代わり使って共和国でアリバイ作ってたからなっ、」
 大きく跳躍して丘を一つ飛び越し、
「こーやって犯罪現場押さえりゃ、何とかなるっ」
 突然ライガーが跳躍したので、ムンベイは危うく舌を噛み切りそうになる。
「ゴーセー写真だって言われたらどーすんのよッ」
「だーいじょぶだってのっ、さっきのペイント弾に特定の薬品にしか反応しない液体が入ってて、」
 バーニアを吹かし、ブレードライガーは一気に草原を駆ける。
「その液体はその薬品でしか落とせない、Dr.D特製のシロモノでっ!
 しかもソイツはGFの基地の金庫で厳重保管中だ!!」
「なーるっほど! たまにはアンタも頭使うじゃない!!」
 すばらしい加速で暗闇の地を飛ぶが如く、青いゾイドは援護部隊との合流ポイントを目指してひた走って行った。



 帝国皇帝、ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世の即位十三年。
 ステップや砂漠を通じた密輸取引はその量・種ともに最高潮に達していた。取引される品目は多岐に渡り、ゾイドや重火器などの兵器から始まり、工業製品、高級品、嗜好品、はては臓器から少年・少女などの人間そのものも商品とされた。
 なかでも両国が頭を痛めたのは、麻薬だった。
 汚染被害は凄まじい勢いで辺境地域に広がり、村や町や都市を基盤から破壊した。資料には、薬物中毒者が都市の路上で息絶えていく映像もある。麻薬は使用者のみならず、売人、運搬、生産者にまで中毒者を引き起こした。
 最も酷い後遺症が残ったのは、副業として運搬を行っていた草原の若者達であったという。彼らは興味本位でそれに手を出し、結局は中毒者となった。
 ある者は部族の掟に背いたかどで枯れ谷に身一つで捨てられ、ある者はろくな治療を受ける事もできずにその薬漬けになった四肢を草原に晒した。






 バンがゾイドに乗り出して、十年が過ぎる日々である。




 

2002.05.03 脱稿
2010.01.02 改稿