皇宮に戻ったルドルフを待っていたのは、これまた非公式な会談だった。
 会談相手を見て、「?」、と首をひねったのも無理はない。
 なにせ相手は、先ほど、大統領補佐官として紹介されたばかり。
「どういう理由で亡命をご希望ですか?
 ハーマン補佐官」
 皇宮の、ここは小規模な謁見の間。
 皇帝と臣下が対面する場である。
 本来ならば条約上『対等』と記されている共和国の使者を通す場ではない。
 だがここにロブ・ハーマンがいるのは、彼が『帝国への移住を検討する』旨を打診したため、臣民候補と扱われているのだ。
「両国の永続的な友好を確信し、自ら活躍の場を帝国に求めて、というところだな」
 お上手です、と笑ってルドルフは答えた。
「ですが、残念ながらその申請は却下しなければならないようですね」
「その通りだ。俺は申請が受理されないことを不満に思いつつ、息子として親から言付かった手紙を、親の友人であるルドルフ少年に渡す」
 少年、の単語でホマレフの眉が少々動いたが、黙って玉座の横に立つ。
 他に臣下はなく、強力な盗聴妨害が施されているこの謁見の間は、実は完全な密会でもある。
 ハーマンがルドルフに差し出した封筒には、よっていかなる宛名も差し出し人も書かれていない。
「これは」
 押し花を透かした便箋は、流麗な女文字で始まっていた。



―――即位七年、対帝国戦争の末期から首都再建までを指導した共和国大統領ルイ―ズはその職を辞した。本来ならばデススティンガー戦役の最中に任期切れを迎えていたのだが、非常事態ということでこれまでは任期延長がなされていたのだ。
 目立った失政もなく、難局を乗り切った大統領として引退を惜しむ声は大きかったが、政治活動を停止したわけでは決してなかった。
 この時期、息子が軍を休職していること、また帝国皇帝と面識があるのを利用し、親密な意思疎通を図るために非公式な外交ルートを作り上げていった。
 この亡命話も、その一つである。
 『元大統領の子息』を理由に共和国要人として皇帝との直接面会が可能であるロブ・ハーマンを通して、自らの考えを正確・詳細に伝達する。
 この、一種背信とも取れる行為が長期に渡って成立しえたのは、現職の共和国首脳部とも詳細な打ち合わせがあったためのようだ。彼女が辞職後に住んだ別荘には、大統領執務室への直通回線が敷かれていた。



「GFは、確かに懸念材料です」
 手紙を読み終えたルドルフは、ホマレフにプロジェクタを立ち上げさせる。
「GFは設立当初の理念上、帝国・共和国の軍人で構成されながら、両国から独立した機関として運営されることになっています」
「しかし、そこに帝国議会が問題を出してきたわけだな」
 ええ、と首肯しプロジェクタの円グラフを示す。
「まず、資金の提供比率です。ご覧の通りですが、現在は帝国が七十五%を占めています」
「……情けない話だが」
「共和国はまずニューヘリックシティの再建が優先ですから。七年前は帝国もガイガロスを優先させましたし、資金のほとんどは皇室財源から出していますから文句は言わせません」
 きっぱりと言いきるルドルフを見て、ハーマンは心中舌を巻く。
(帝位に就いた頃はまぁ可愛らしい皇帝陛下だとは思ったものだが……。
 いまでは男の顔だな)
 即位直後、ハーマンが初めて会った時よりも背は伸び、声も低くなった。
 趣味なのか習慣なのか、頭髪は更に長く背中まで伸ばしているが。
「最大の問題は、これです」
 プロジェクタの一部が拡大される。
「GFが両国で行使できる権限の格差が、問題なのです」

―――帝国内におけるGFの権限は非常に広い。
 これは専制君主である皇帝が勅令としてその権力を公認しているからだ。
 特に皇帝からの恩寵金貨(貨幣ではなく身分証として使用される)を授与された隊員は、捜査に対して全ての帝国政府関連機関(軍事基地・研究施設含む)の協力を義務付けるという、どこぞの印籠と同様の効力を発揮した。
 対して、権力が分立している共和国ではそこまでの権限は望めない。
 共和国内の軍事基地を捜査するには申請が必要であるし、機密の固まりである研究施設には立ち入りすらできない。
 密輸などで確たる証拠が挙がらない限り、退役軍人の逮捕も制限される。
 その際でも、なんと共和国軍情報部との共同捜査しか認められない。
 結果として、同数程度の犯罪行為が行われているのに帝国ばかり犯人が検挙され、共和国には逃亡されたりしている。

「僕も、この件に関しては改善をお願いしたいですね。
 まるで帝国ばかりが悪事をしているように思われるのは心外です」
「皇帝陛下は共和国にも悪人がいると?」
 返答如何では共和国に対する侮辱とも取られる質問に、ルドルフはいっそ辛辣に答えた。
「例えば、密輸は売り手と買い手があって成立するものです。
 帝国で共和国へ密輸を行っていた者が多く居れば、当然共和国内にも多くの買い手がいるのが普通ですよ」
 ハーマンは両手を挙げて、
「降参だ。
 密輸に関しては、こちらでも軍と中央政府が共同で摘発にあたっている。
 GFの権限拡大についてはもう少し待ってくれ。
 兵器開発は民間企業が絡んでいるからな、そのあたりの調整がつかないと、反発が大きくて実行できない」
「二年ですね」
 ルドルフは笑顔で期限を切った。
「善処しよう」
 ハーマンは確約を避け、話題を移す。
「GFについては、人員構成とその比率に希望がある」
「比率を一対一にするのは、まぁ分かりますが……、軍属ではなく、専門の教育機関を設けるお話ですか?」
「そうだ。
 軍属では、GFに出向中に得た相手国の機密が流れる可能性が高い。
 ……アーバインが良い例だな。
 新型ゾイドの投入をするのは良いが、搭乗者を製作国籍に限定するわけにはいかん。
 かと言って乗せれば乗せたで、苦労して開発したデータが簡単に流れるのはおもしろくないだろう?」
「アーバインが、情報をあなたがたに流したのですか?」
 ルドルフの固い表情にハーマンは苦笑し、しかし目を細めて続ける。
「勘違いして欲しくないな。
 話をアーバインに限定するわけではない。
 ライトニングサイクスを整備する人間には当然共和国の者がいるし、サイクスの活躍を間近で見る共和国軍のGFもいる。
 深読みすれば、どちらかの陣営のスパイが簡単に情報を取得できるとも言える。
 この状況は、お互いの軍にとって好ましいものではない。
 ならばお互いに不干渉協定でも結ぼう、というわけだ」
 ルドルフは、沈黙する。
 ホマレフは一言も発さず、主の決断を待つ。
 睨みつけてくる宰相を視界に収め、ハーマンもルドルフの結論を待つ。
(十七歳が、国家の最終決定権を持つのか)
 待ちながら、しかしハーマンには一瞬絶望に似た感情が、よぎる。
(たかだか、十七歳だぞ?
 ルドルフは、ルドルフは確かに共和国に好意的だ。
 ……だがそれは、バンのような特定の個人に対する好意が、そのまま共和国への好意であるだけだ。)
(市民が皇帝に反感を持てば、自然とルドルフも俺たちを、わけもなく嫌いだすかもしれない。
 そんな、あいまいなものだ。
 お袋、あなたは恐ろしくないのか?
 気紛れな十七歳の絶対権力者相手に、国を動かすことが)
(バンが十七歳のとき、こんなことが考えられたか?
 いや、もしルドルフがバンのような考えをもったらどうする?
 やつの理屈だけで、世の中が動けるわけではないぞ。
 ゾイドは兵器でもあるんだぞ?)
(お袋、……どうしてここまで、ルドルフを信用する?
 十七歳の、まだ)
 絶望に似たそれは、ハーマンに寒気を催させ、そして消えていくのだ。
(まだ、子どもだ)
 ルドルフは返答を出した。
「わかりました。
 すぐに、とはいきませんが、専門機関を作ることを念頭に進みましょう。軍には検討チームを作るよう命じておきます。
 ……そちらとの細かい協議をもったほうが良いですね?」
 当然、とハーマンはうなずく。
「それは俺が相手になるな」
「あなたが?
 ……でも、軍籍は?」
「休職中だが、補佐官をしている間は共和国軍部オブザーバーの肩書きをもらっている。
 軍上層部も承認済みだ。
 亡命話を断られた俺は、それでも諦めずに何度も面会を求めるからな。
 これから頻繁に帝都に来る事になるぞ。
 協議会の日程は次回にでも決めてゆこうと思うが」
「……本腰をいれていますね」
「お互いに、な」
「末永くお付き合いしたいですね」
 片眉を器用にあげ、ハーマンは答えた。
「陛下の御代の、御長からんことを」



 シュバルツ大佐と飲みに行く約束を果たした翌朝、ハーマン大統領補佐官は一路共和国への機上の人となっていた。
 ホエールキングのファーストクラスから眺める雲海は、まばゆい朝日を乱反射する。
 陽光に目を細め、ハーマンはふと考える。
(俺は、政治家になるのか?)
 母親への反発もあって軍に入ったが、結局はこうやって『政治』に荷担している。
(中立であるべきGFまで、政治問題に引っ張り込むからな……お袋には、まだまだかなわん。
 どうしてそこまで思いつく?
 さすがは政界の小姑か)
 これを聞いても、前大統領は「うふふ」と笑って喜ぶだけだろう。
 近年の不仲が解消され、母親としては息子が手伝って(かまって)くれてとても嬉しいらしい。
「…………まぁ、クルーガー大佐に乗せられたような気もするが、……こういう仕事も、悪くはないな」
 一面の蒼天。
 空飛ぶ機獣は低く低く咆哮をあげる。
 共和国へ到着したら軍人に戻って、緑色の髪の部下にきりきり働かされるだろう。
 それまでは暫しの休息だ。
 心地好い振動の中、二日酔いの頭を休めるため、ハーマンはアイマスクをつけて仮眠に就いた。



 ガイロス帝国皇帝、ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世の即位七年。
 外交革命、とも揶揄される共和国と皇帝との『蜜月』は、以後秘密裏に進められる。皇帝以外の大臣達の共和国への反感はいまだに根強く、無用な反発を招かないための配慮であった。
 首都を壊滅されたヘリック共和国は、国家の存続がために、和平への道を選ばざるを得ない。
 その『和平』は、当初、恒久的なものとして考えられてはいなかった。
 帝国に対抗できる国力が回復するためまでの、つなぎの政策とみなされていた。


 ……しかし、国力は長らく回復する事はなく、いつしか『和平』は当然守られるべきものへと、変質していくのである。

 

2001.05.01 脱稿
2009.11.12 改稿
(初出:『AfterDays』より )