(僕は、いつまで待てばいいのでしょうか)
 いと高く賢く、やんごとなきお方、ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンV世陛下はぶちきれそうになる堪忍袋の緒をどーにかつないでいた。ここに御座機セイバータイガー(ロイヤル仕様)があれば既に発砲している気がする。
(ああ、昨日は楽しかったな。サイクスのコクピットに乗せてもらえたし)
 午前十時から開廷された今年度2回目の御前会議は、円卓に宰相・各省庁と軍の代表が出席している。
 本日の議題は以下の通りである。

一、ヘリック共和国に対する投資
二、国内の新規農地開拓

 このうち、一は皇帝、二は臣下より提出された。
「わたくしは反対です」から始まった財務大臣ハインド・フォン・リープクネヒトの演説は、皇帝が掛ける玉座の肘置きをぎりぎり握る中で続く。
「…現状の財政状態において、ヘリック共和国に対する投資政策はその優先順位が低いといわざるを得ません。
 第一に考えるべきは、帝国内における経済であるべきです。陛下が即位なさってからの御代五年間は、帝都ガイガロスの復興のため各物資・資金の回転率が速く、俗称で言えば『景気が良い』状態にございました」
(アーバインもそう言っていましたから知っています)
「しかしあと半年ほどでその状態も終わると、経済調査分析班は見ております」
 そこで財務大臣は言葉を切った。
 ぜひとも尋ねて欲しそうだったので、ルドルフは尋ねてやる。
 臣下との良好なコミュニケーションを保つためには、まず相手の話を聞いてやらねばならない。
「何故ですか?」
 財務大臣は『しかたない教えてさしあげよう』的態度満々で答える。
「五年前逆賊・プロイツェンに破壊された帝都の主要公共建築がほぼ完了するのが半年後なのです。この後、新規の大型建設事業はなくなります。最初に建設業が停滞し、波及して各種資材流通業、人足の需要も減り、帝都に集中していた日雇い労働者の八割が失業者となるでしょう」
 ここが問題なのです、と財務大臣は声を張り上げる。
「失業した者達に対しての政策を設けなければなりません。
これら失業者達は着の身着のままで帝都に着た者が大半です。しかも五年という好況の中、家族を呼び寄せた者もおります。職を失えばこの者たちはたやすく飢えるでしょう。食べるために犯罪に手を出すでしょう。
治安は簡単に悪化し、人心はすさみます。停滞と付随する無気力が帝都を覆うでしょう……!」
 陶酔した財務大臣に皇帝は冷たく言った。
「精神論をお話しているのではないのですよ、リープクネヒト大臣。もう少し、客観的にお願いしましょう」
 『このガキこきゃあがる』的顔をして、財務大臣はテンションを低くした。
「御前にて失礼しました。
 失業者以外に、職能ギルド(手工業者組合)からの圧力は免れません。新規建設がなくなれば、付属して家具、調度、内装関係の受注も減少します。かの組合は多数の内弟子を労働者として抱え、失業者の減少に一役買っておりますゆえ」
(いろいろ、他にも便宜を計ってもらっていますしね)


―――職能組合は職人がただ集まっただけの組織、ではない。組合員を対象とした福祉厚生を一手に行っている。職人たちの破産または引退後の保険業務、怪我・病気をした場合に安くかかれる専用病院、組合員が割引・無料で観劇できる演劇場の建設・私有。
 そして納税の代行業務。
 商人組合と並ぶ、帝国有数の大口納税者でもある。


 財務大臣の話は続く。
「甚大な被害を受けた帝都復興のため、国庫は常に切迫した状態にあります。この状態において、帝国臣民よりも共和国に対して目を向けるとは、陛下、畏れながら陛下の御心は臣民に向けられていないと邪推する者も………」
「リープクネヒト大臣、口が過ぎるのではないのか」
 玉座の右に立つ宰相が、静かに財務大臣を制する。
「失礼致しました。
新参者ゆえ、いまだ礼儀がなりませぬ」
 口元を歪め、財務大臣は席に座った。
(僕は、ものわかりの悪い、子どもですか)
 ルドルフは穏やかな表情の下、バンに教えてもらったありとあらゆる喧嘩技でもって心の中の財務大臣を三回のめし倒し、ゆっくり口を開いた。
「説明にご苦労、リープクネヒト大臣。
他に意見のある者は?」
 御前失礼致します、と食糧庁長官エーべイ・フォン・ハウシュタインが立った。
「提出致しました資料の中に、今後の人口の推移についてのものがあります」
 円卓のプロジェクタ(立体映像投射装置)に急上昇しているグラフが現われる。 「現在の人口と特殊出生率、そして以降の伸び率の予測値です」
 実測値は実線、予測値は破線です、と示すグラフ全てが上向きしている。
「これまでも幾度かある事ですが、戦時中は低いこれらは、休戦期に入ると上昇します。今回の休戦も例に漏れず、急激な人口の増加が起こっています。……この現象は、おそらく共和国でも同様かと思われます」
 戦争がないとなれば、人間することは皆同じ。
「沿岸の魚業地域は免れましたが、長い戦争期間で帝国各地の穀倉地帯の多くはいまだ荒廃しております。デススティンガーによって壊滅させられた場所もあります。
また、無事である地帯も相次ぐ連作で土地そのものが疲弊しております。主食である小麦の自給生産力は、100%を切るか切らないか、というものです」
 プロジェクタの映像が消失する。
「加えて、備蓄用の小麦は、戦時中の軍への配給の際、その多くが横領・横流しで紛失し、書類上の量より少ないと推測しされます」
 流し目で、食糧庁長官は軍務大臣ダンザー・フォン・ヒンデンブルク将軍を見る。
「……まるで、軍部そのものが行ったような言い方だな。そちらの人間が行った可能性もあるはずだがな」
「検挙されたのは下士官や一般兵が大半でしたので。その大掛かりさから、より多くの上級軍人が関与していたとの推測もございました」
「貴様っ!」
 軍務大臣が立ちあがりかけて、
「静まりなさい! 御前にて無礼であるぞ!!」
 宰相の叱責が飛ぶ。
「ハウシュタイン長官」
 静まり返った円卓上に、変声期前の少年の声が響いた。
「は」
「推測でものを言うのは感心しませんよ」
「……は」
「ヒンデンブルク将軍、あなたもです」
「しかし陛下っ、軍の名誉が汚されたのですよ! 私めは何としてもっ、」
「その前にあなたがた自身が汚していますよ。
 将軍、横領などの違法行為が立件され、確たる証拠によって帝国軍人が逮捕されたのは事実です。ハウシュタイン長官の推測も、そのような前科があるからこそなされるのです。
 中傷されたと感じるよりも、まず自らの綱紀粛正に励みなさい」
「……陛下はわかっていらっ」
「将軍。
 軍の最高責任者は皇帝である僕ですが、実務に関しての責務はあなたにあります。
 これ以上の不祥事があれば、あなたの管理能力を問わねばなりません」
「………は」
 僕を失望させないで下さい。
 およそ十五の少年が出すとは思われない冷ややかな声で、皇帝は臣下のいさかいを打ち切る。

―――この当時、軍ではいまだに組織ぐるみの横領・横流しが続いていた。皇帝は物証を含めてこの件を認知していたと言われている。数年後に始まる捜査は、以前では逮捕されなかった貴族の将校まで芋づる式に検挙していったからだ。

「ハウシュタイン長官、話を続けてください」
「は。備蓄も少ない現状で、デススティンガー事件と同規模の破壊活動が起きれば途端に深刻な食糧不足が始まります」
 古代の強力ゾイド一体で国力・国家間のパワーバランスは簡単に崩されることは、逆賊・プロイツェンの一連の行動で証明されている。
「旱魃等の自然災害の発生でも同様です。これに関しては共和国も同様でしょう」
 食糧庁長官は少々の気まずさを込めて、皇帝に視線を向けた。
「その非常時に、共和国に対して食糧援助をする余裕は、現在の食糧庁にはございません。
 ゆえに、国内の新期農地開拓のための大規模な補正予算を申請致したいのです」
「……リープクネヒト大臣、補正予算の財源は、国庫から捻出できますか?」
「無理です」
 財務大臣は即答した。
「では、皇室財産からは?」
 財務大臣は(だからこのガキは面白い)と内心笑って、
「それも無理でございましょう。帝都復興資金やガーディアン・フォース(GF)への資金援助、加えて陛下が進められます共和国への投資計画分まで見こみますと、今年度分の皇室運用基金の使途は既に埋まっております」
と、流暢に口上を述べた。

 皇帝は黙したままである。
 しかし、臣下は全員理解していた。御前会議の趨勢はこの時点で決したことを。

 敵国であった共和国への経済投資と、自国の食糧事情。どちらを優先するかは皇帝たる者にとって自明の理であり、それが分からぬ者は皇帝たる資格はない。

 それは、臣下が堅く信じる常識である。

(いいでしょう。今回は、子供の僕が譲歩しましょう。
 アーバイン。もう少し、待ちます。あなたの言ったように)

 皇帝はそのあどけない声で採決を下した。



―――即位五年、ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世が立案した共和国投資計画はこうして廃案となる。代わって可決された帝国内の新規農地開拓案の財源には、投資計画分が充てられた。
 この御前会議において行われた将軍とのやり取りは、この後二年に渡る皇帝と軍との関係をも決定する。皇帝と左派の頭角ハインド・フォン・リープクネヒト財務大臣が推進する軍縮政策に対し、軍はことごとく反発し反対し続けていくのである。
 軍の態度が軟化に至るまでには、当時大佐であったカール・R・シュバルツの、将軍就任を待たねばならなかった。



 賢君ルドルフ。
 または大帝とも称される彼は、ガイロス帝国の各王朝を通じて最も長く帝位にあり、中産・下層階級の向上に最も力を付くし、戦争で疲弊した文化の復興に最も私財を投じた皇帝であり、最も『休戦』に腐心した皇帝である(彼の治世において『休戦』とは、すなわちヘリック共和国との停戦を意味した)。
 しかし、その在位の生涯を彩る最大の特徴は、これなのではないか。
 共和国大統領ルイーズの、

「理性は皇帝、感情は共和国」

という言葉こそ、最も表す、と。

 

2002.04.28 脱稿
2009.10.18 改稿
(初出:『After Days』より )