名門シュバルツ家の夕食は美味である。
珍奇な料理が出されるわけではないが、最高の素材に最上の手間暇をかけ、最良のタイミングで摂取できる。加えて熟成したワインとそれにぴったりのチーズまで一緒ならば文句はない。
それらを胃に収め、ほろ酔い加減の良い気分で、アーバインはつらつらと歩いていた。シュバルツ家の愛玩動物兼番犬のケーニッヒ(地球の狼に似た四足獣)がお供である。シュバルツ家の庭園は彼の気に入りの場所の一つで、今夜は月に照らされてやたら明るかった。

 晴れた夜空の紫紺。

 皓い双子月が仲良く鎮座。

 星は見えない。双子月の光が消している。

 照らされた庭。深い深い木陰。しろい地面にくろい葉が浮かぶ。

 ケーニッヒの尻尾がゆらゆら揺れる。

静止した月光の下、アーバインはルドルフを見つけた。

「……ルドルフ。どうした」

 眠れないんです。

ルドルフは小さく答えた。

「明日はセイバータイガーに乗んだろ? しかもロイヤル仕様だ。寝ておかねぇと、あの動きに酔うぞ」

 そうですよね。

ルドルフは小さく笑い、また月を見上げる。

「…………どうした」

ルドルフは答えない。

アーバインの目には、数年前の、戦争していた頃のバンと同じ顔に見えた。具体的に言えば、今はルドルフの下でお側居役をしている元帝国兵が共和国の首都で逃げまわって最後にとっつかまった時の、バンの顔だ。
つまり、泣きそうな顔であり、泣いている顔であり、どうしようもない時の顔である。

アーバインはルドルフの隣に腰を下ろした。長期戦をする時は、疲れない姿勢でいるのが得策だ。
ケーニッヒもそれに習い、アーバインの隣に伏せ寝した。

「………俺は皇帝陛下の相談にのれるほどたいした奴じゃないぞ」

 いいんです。人に、本当は身分の、優劣なんか、ないのですから。

「…あぁそうかよ。でも、お前は皇帝で俺は風来坊だ。本当なら、こうやって話せねぇよ」

 いいんです。今、話せていますから。

「……………で、どうした」

 ホマレフに、反対されました。

「……ああ、あの爺さんな」

 そのほかの皆にも、反対されました。

「カールはどうした?」

 シュバルツ大佐は軍の代表じゃないので、僕が議長の会議には出られないのです。

「そんなもんか」

 はい。
 いろいろ、僕のやりたい事を話してみたのですが、嫌だそうです。

「全員か?」

 はい。
 だれも賛成してくれませんでした。皆が皆、共和国が嫌いみたいです。
 ホマレフにまで、ああも反対されるとは思っていませんでした。
 バンとあなたとフィーネとジークとムンベイが、僕を帝位につけてくれたのに。

「そりゃ、ついこの間まで戦争してたからな」

 もう五年経ちますよ。

「まだ五年だ」

 僕の即位式の日に生まれた子供たちが五歳になると、聞きました。
 戦争を知らない子供たちです。
 彼らは十年後には、僕とおなじくらいの年になるでしょう。
 二十年後にはアーバイン、あなたとおなじくらいになります。
 僕は皇帝です。彼らの生活を守る義務があります。
 彼らが戦争で死なないように、彼らの子供が戦争で死なないように、そういうふうにしなければいけない義務が、僕にはあります。

「………そうか」

 はい。
 僕はおじいさまから指輪をもらった時に、臣民に対する義務を持ちました。
 僕はこの帝国を守らなければいけないのです。
 そのために、共和国に歩み寄ってなにが悪いのでしょう?

「…ま、な。この間まで殺しあってきた相手だ。はいそうですか、ってはならねぇよ」

ルドルフは小さく呟く。

 五年間、待ったのに。

「そりゃ短いな。せめて十年待て。その頃にはカールが出世して、頑固な爺ィをけっとばすだろうよ」
そう言ってアーバインは笑い、またルドルフの頭を掻きまわして「もう寝ろ」と覗き込んでくる。
ケーニッヒも鼻を鳴らして、アーバインの真似をして、覗き込む。

シュバルツ家の警備の厳重さに、見せ掛けでも友人だけといられる解放感に感謝して、ルドルフは止まらない涙を隠しながら泣きつづけた。

心中、呟きながら。



(僕は、いつまで待てばいいのでしょうか)