「平和といっても、僕の平和はもっと身近で身勝手なものです。
 僕は、友人と敵になりたくないから」
     ―――ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世



ガイロス帝国において、皇帝とは階級の最上位に位置するものである。奴隷制度こそその効率の悪さより廃止されたというものの、いまだ平民と貴族(被支配階級と支配階級)の差は厳然と残る。そこは血統こそ敬うべきものであり、優先されるべき社会であった。


だからこそ、ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンU世は齢十一にして至尊の玉座に腰を下ろせたのである。


「知っていますよ、ホマレフ」

皇宮の最奥、即位五年目にしていまだ幼い容貌の少年皇帝は、腹心の臣下に対して穏やかに答えた。

「……ご存知なのですか? 私めが申し上げたいのは」
「皆が僕に不満を持っている、ということでしょう。僕の友人達に。ひいては僕の政治に」

ホマレフは、しばし口をつぐむ。

皇宮最奥の、皇帝のための庭園。
豊かに葉を茂らす常緑樹、豊かな動植物、そして豊かな水量を流す見事な噴水。帝都ガイがロスは乾燥地帯に属する。ただ流れるだけの無駄な水を持つことは特権でありステイタス。
その庭園の阿屋に、少年皇帝と宰相はいた。

「あまりにも丁重に扱いすぎると、言う者もおります。また、共和国に対してあまりにも譲歩しすぎると言う者も、おります」
「あなたもでしょう。ホマレフ」

少年皇帝は穏やかに答えた。
自らの施政を第一の臣下に非難され、しかし怒りもせず嘆きもせず、ただそれは事実だろうと、指摘した。

「…………陛下」
宰相であるホマレフは帝国の名家出身である。国政の中枢に代々男子を輩出し、時に皇后もだした。彼自身若年から前帝に仕え、ルドルフの教育係長も務めた。
摂政プロイツェンが権勢を誇った時期であっても、皇太子であった少年皇帝に従い続けた『忠臣』は、しかし、いま、動揺していた。

ルドルフの変わらない表情に。
―――己が奏上した件は既知であり、しかしそれは皇帝のいかなる感情をも動かさない。

ルドルフの言葉が事実である事に。
―――第一の臣下である己が皇帝に反旗を振っている。

「僕はよく、知っていますよ」

ホマレフの四分の一の年にも満たない少年は、静かに紅茶を飲む。
微笑みすらにじませて、静かに。







「ようルドルフ。元気だったか?」
「アーバイン!?」
旧知のゾイド乗りの出現に、ルドルフは驚愕した。なにせこの風来坊、堅苦しい場所や待遇が大っ嫌い。よくぞ自分の戴冠式に出席してくれたと、いまでは思い返すたびに感心しているくらいの出不精だ。
「どうしたのですか? 帝都にいるなんて珍しい……」
「おいおい、俺がいちゃ悪いかよ」
「とんでもありません!!」
大歓迎ですっ、と満面の笑みでルドルフは答えた。


―――ルドルフ・ゲアハルト・ツェッペリンV世にまつわる性癖に、『外出好き』と『ゾイド好き』が挙げられる。誘拐歴のある幼少期にまつわるものなのか、これは生涯変わらない。 皇宮警備隊がどんなに泣きつこうとも、歴代皇帝中驚くべき身軽さで市中・国内を出歩いた。
この日も、少数の警備で、帝都ガイガロス郊外にある名門シュバルツ家の別宅へ非公式に訪問している。
皇室記録で、この日皇帝はシュバルツ家主催の美術展覧会を観覧した帰りであった。
隠居した前当主に招かれて、とあるが、実際には軍人である当時の当主に誘われたらしい。 『当主シュバルツ卿とそのご友人と歓談し投宿される』と、当時の侍従が記している。
近年公開されたこの【皇帝言行録】には、執務記録には翌日一切の公務を行っていないとだけであるが、急な予定変更の余波が行政のどこにも無いところを見ると、この休暇も以前から組まれていたようである。


愛くるしい小間使いが飲み物を高貴なる人々とそのご友人のために用意し、深々とお辞儀をして退出する。

室内は年代と貫禄を感じさせる調度品がさりげなく置かれている。
ツヤが出るほど磨かれた木目の美しい柱に始まり、華麗なアラベスクが飾る天窓、壁面に描かれた風景の細密画、幾何学張りのタイル、優美な曲線を描くアームチェアと猫足の花瓶台。
シュバルツ家と共に歴史を重ねてきた私的な応接間で、ルドルフとシュバルツは上品にティーカップに口をつけ、アーバインは一気飲みした。
「俺にお前みたいなお育ちの良さを期待するな」
 深い溜息をついたシュバルツに、仏頂面のアーバインの態度。
そんな二人の差がおもしろくて、ルドルフは笑う。
「でも、どうしてここに来たのですか? アーバイン?
 帝都に賞金首でも逃げ込みましたか?」
「あーー……そーいうワケじゃねぇけどな」
アーバインの格好はいつもと変わらない。
鉄で補強された軍用ブーツ、防弾繊維で作られたズボンと上着、アイスコープにバンダナ。ライトニングサイクスを駆ってどこへでも行けるその装備に、多少の羨望と寂しさを感じる。
「陛下、この男は軍の機密ゾイドを所有しながらその研究に協力せず、ために定められた義務も果たさないという、不届き者なのです」
「義務?」
「月に一度定期点検を受ける義務が追加されたのです」
「面倒なんだよ」
「……と、言ってこの男はもう三度もその義務を履行しておりませんでした。とうとう堪忍袋の緒を切らした研究班に泣きつかれまして、私が私的に捕獲した次第です」
「俺は動物かっ」
「似たようなものだな」
 掛け合い漫才にしばしルドルフは爆笑し、涙を拭き拭き言った。
「ふたりとも、仲が、良い、ん、ですね、意外、ですっ」
その言葉に、シュバルツとアーバインは、なんとも言えない顔をした。

笑いが収まったルドルフがねだったので、アーバインが拿捕した賞金首や砂漠での珍しい現象の話をしているうちに、夕食の時刻となった。
「ルドルフ。そろそろ帰らなくていいのか?」
「はい、大丈夫です。今夜は泊まる予定ですから」
「そうなのか?」
「明日はここで、久々にセイバータイガーに乗るんです。
 宮殿ではホマレフが目を光らせていて、なかなか乗れないのですよ」
「……おいカール。お前、仕組んだな?」
アーバインが凶悪な目つきでシュバルツを睨む。
睨まれた相手は素知らぬ顔だ。
「いや、陛下も久々にお前にお会いになりたいのではないかと推測してな。
陛下の日程に合わせてライトニングサイクスの機検(機体検査)日程も組んでみた」
「『組んでみた』じゃねぇっ! 
 ったく、どおりでサイクスの検査がすぐ始まらなかったわけだぜ」
「………迷惑でしたか?」
文句を言いながらも、しかしアーバインは本気で怒っている様子ではない。
ルドルフの悲しげな表情を見ると、「しょうがねぇな」と呟いてその頭をかき混ぜてくしゃくしゃにする。
「ちげぇよ。なんとなく、俺の知らないところでなんか進められるとな、怖くってしょうがねぇんだよ」
「怖い、ですか?」
「ああ。なんかな、変な事に巻き込まれるような気がする。いろいろまずいことしてるしな」
 シュバルツ家の当主は驚いたように、隣に座る青年を見て言った。
「お前が怖いなどと、そんな殊勝なことを言うとは……。
 陛下、申し訳ございません。明日は雪が降ります」
「決めつけんなっ!」
「あ、雪なら僕見たいです、アーバイン」
「お前ら俺をおちょくるんじゃねぇ!!」
というアーバインの抗議のあと、座はすぐに夕食となった。