「皮肉ですね」
力なく閉められた執務室の扉を眺め、男の部下は呟く。
面会の間、部下は男の脇に立っており、女の部下の横顔をよく観察することができた。
「何がだ」
「先程の、忠誠を捧げるというお話ですよ。本当に、誰一人として当の司令官以外を答えた者はいなかったわけですから。
……上の考えを必ずしも下が分かっているわけではないと、実感しますよ」
書類から顔をあげ、胡乱な目つきで男は部下を見る。
「お前までその気になってどうする」
「は?」
聞き返す部下に、男は溜息をつく。
「他人の話を鵜呑みにするな。……まったく、あの女がそんなに純粋で繊細な共和主義者だとでも思っていたのか? あいつは勝っても負けても現実しか見んぞ。押し掛け議員たちの思惑を把握して利用できた奴だ。生死まで共にした部下の主義主張が分からんわけがあるか」
「――と、言われますと」
「部下の忠誠はあいつ自身にあるだけで、国の政体がどうなろうと知ったことではない。俺と敵対する前からそれには気づいていたろうが、それこそあいつにとって関係がない。
あいつは自分自身に向けられる忠誠を利用して、共和政体を守ろうとした」
「……しかし、それは矛盾していませんか?」
「どこがだ」
「一個人に対しての度を過ぎた崇拝を許さない『共和政体』を、その崇拝を利用して守ろうとした彼女の態度が、です」
「……どうかな。むしろ納得していただろうよ」
「何故です?」
「共和政体が示す『選良』とは、自らの利害代表者ではない。
自分よりもマシな判断ができると思う奴を選び、そいつらに政治という仕事を任せる、ということだ。選んだ奴の判断や決定が自分よりも劣っていると思うならば、その首を挿げ替えれば良い」
間を空けて、男は部下の理解度を計る。
「あいつにとっての『忠誠』は単なる委任状だ。現在から将来への判断と選択を任せ、それが正しい間は従い、間違えれば即座に反旗を翻す――偽りないとか通じ合う心だとかではなく、そんな程度の『忠誠』にすぎない。
ならばいくら部下が崇拝やら何やらを向けようと、あいつは部下に選ばれた『自分の判断』を下すだけだ」
執務室に沈黙が降りる。
部下は口元を押えて床を凝視し、男は書類を埋めていく。
「……分かっていて、仰っしゃったのですか」
部下は、僅かに声を震わせる。
「うん?」
「先程の彼との、『忠誠』の違いです。
全く……全く気にしないと分かっていながら、あなたは彼を…………追い詰めたのですか」
男は背を伸ばし、笑う。
「自分自身に陶酔するような、考えの狭い奴は嫌いでな。
根拠も無く人を決めつける馬鹿も好かんが、奴のような、自分の忠誠の価値ばかりを気にする阿呆もいらん。
今日の件で気が狂おうが自殺しようが、別に構わんさ。……まぁ、殉死扱いになったら困るが」
書類を部下に投げる。
「これは?」
「面接した中で使えそうな連中だ。後で召集をかける。宿の手配と階級の検討をしておいてくれ」
書類を捲ってみると、呼び出した女の部下ら一人一人の経歴、実績、素性のほかに、男の評価が書き加えられている。
さきほどの彼の名はなかった。
「……このためだったのですか」
畏怖を浮かべて囁き、部下は男を仰ぎ見る。
「さて」
男は笑って答えなかった。
[法律用語]
ある事実を知っていること。「悪意の」は「知りつつ」の意。
必ずしも道徳的不誠実の意味を含まない。
脱稿 2004.11.28
改稿 2009.09.21