或ル国ノ話

070.tickle



頬に触れる雑草がくすぐったいのか、乳児は目を瞬かせ首を振る。

もの珍しいのか小さな手を伸ばし、茎を握って毟り取る。

引きちぎったそれを口の中に入れようとして――


「そこまでです」


女は乳児の手を掴み、止める。


「アー?」

乳児が女を見上げる。
木洩れ日が眩しいのか、手を振り回している。
今日の天気は上々で、強い日差しをさえぎるべく木陰にいるためか、風にそよぐ木々のざわめきが女と乳児の周囲を満たす。
体重も体長も毎日のように増えている。お座りができるようになったのを機に、古参の召使は乳児を盛んに外へ出させるようになった。
今日も今日とて部屋や寝台の掃除をするためにと、女は半分追い出された形だ。
とはいえ女の昼食と乳児の離乳食を手籠に準備していたあたり、書類仕事で閉じこもりがちな女を戸外に出す口実でもあったのだろう。

「あぁ、ほら。離さなくては」 

「アー!」

遊び場は女と乳児の住まいになっている離れの小さな前庭で、老婦人の屋敷の奥まった所にあるため、人目に付く心配もない。
日に2〜3度、食事と寝具の交換に古参の召使が来たり、様子見に老婦人が来る程度。そのため女はここ数週間、ほとんどつきっきりで過ごしていた。

「草を食べても栄養にはなりません。消化できずに腹痛を起こします」

つい部下達と会話するような口調になってしまう。
当然、理解できるわけはなく、乳児は再び草を毟り始める。

(……そろそろ、離れるべきでしょうか)

不安を、女は幾つか思い浮かべてしまう。

外出が増えたせいなのか夜中に高熱を出す、湿疹を出して泣く、寝返りができるようになりいつの間にかうつ伏せになることがある、人見知りをするようになった……。

他人に預けてしまうには、まだ女には決心が付かない。

(職務を果たさなければ。……この子は私の『子』ではないのですから)

『病気のため療養中』となっていた女が復帰したのは出産から月が二巡りもした頃からで、それとて完全に復職したわけではない。
登庁するのは三・四日に一度、部下と軍団の編成や訓練の日程についての打ち合わせを集中的に行う。
子飼いの部下を都に置いてきた女は、これから腹心を育てねばならず、今はお互いの相性を手探りしながらでの話し合いが続いている。
できれば数日がかりの演習を行い、配置の適性を確認したいとも思っている。
軍団以外でも、街道沿いの宿街の元締めや長老格の人間と連絡を取り、また連絡を取るために派遣する人員の採用・育成をしたいし、再び活発化してきた盗賊集団の取り締まりの情報収集もしなければならないし……。


「アーーー!」


はっ、と女が我に返ると、乳児は草のみならず、くっついていた虫までも口に入れようとしていた。

「駄目ですっ」

慌てて女は乳児を抱き上げる。

「その虫は可食部の割りに、私達が吸収できる蛋白質が少ないのですよ」

抱き上げられて嬉しいのか、乳児は「アーアー」と小さな両手を振りまわす。

(…………預けるべきでしょうか)

自らの育児能力に一抹の不安を覚える、女と乳児の昼下がりであった。



脱稿 2007.08.11