或ル国ノ話

061.with an up glance



(この眼がいけないのですね)

特に上目遣いの眼がいけない、と女は感じるのだ。

「固まっていますよ」

色素の薄い瞳、半開きの唇、はえそろってきた柔らかい髪、アウアウと言いながら卓を叩く小さなこぶし。

「……」

「見ているだけでは解決になりませんよ」

老婦人に指摘され、女は自分の皿から菓子を移す。

離乳食が進み、乳児の食事は大人用の料理をふやかしたものが中心となってきた。
まもなく生後一年を迎える乳児は成長著しく、『ちょうだい』『どうぞ』遊びが最近のお気に入りだ。
乳児が「ウー」とねだれば女は菓子や食事を取り分けて与え、乳児は自分の皿から(離乳食を)女に「ダー」と渡す。料理は当然手渡しで、口回りから腹、腕までが汚れてしまう。
女としては普通に食べてもらえれば良いのだが。

「ダー♪」

「……ありがとう」

「ウー?」

「……どうぞ」

「ダー♪」

これが延々と続く。

老婦人は止めもせず、笑って茶を飲むばかりだ。

乾燥し酷暑であった夏季は過ぎ、日差しは幾分和らいできている。
常緑樹の畑を遠くに望めば、吹き抜ける風の熱も取れ、どことなく涼しげな気配を感じる。
離れの前庭には優雅な茶会の準備がされ、はるか彼方の国から運ばれた茶葉の芳香が漂う。


「もうすぐ、一歳ですわね」

乳児は遊びに満足し、手づかみで菓子を食べ始める。

「はい」

女はこぼれる菓子の欠片を拾う。

「神官と役人を呼ばねばなりませんね」

「……はい」

女は頷く。

―――幼児の死亡率が高かったこの時代、産まれた子は約一年を経て正式な命名が行われる。それまでは生と死の狭間に漂う存在とされ、仮の名のみつけられるのだ。
通常は冬季に命名式が神殿で執り行われ、過酷な夏季を乗り切った子らが親に抱かれて集団で参加する。裕福な家庭であれば、一歳の生誕日に神官を呼んで自宅で命名式を行い、近所に祝いの料理や酒を振舞うこともある。
その後、役所に正式名で出生届がなされ、晴れて子どもはその存在が公に認められた。


陽光が徐々に傾く。
菓子の皿は片付けられ、新しい茶が満たされる。

「名は決めましたか」

暫くの沈黙の後、老婦人は口を開いた。

「……いいえ」

眠ってしまった乳児を抱き、女が答える。

「私の『子』ではないので、考えておりませんでした」

風で鼻がくすぐられたのか、乳児がむずがる。
愛らしい仕草に、女が笑む。

「そうね」

老婦人も、微笑む。

「命名は養親であるわたくしが行います。ですが、立会い人であるあなたにも幾つか考えてもらいましょう」

女はゆっくりと顔を向ける。

「……よろしいのですか」

言ってから女は、慌てて「失礼致しました」と付け加える。

「……そうでなければ言葉にはしませんよ。
この子がわたくしの屋敷に『来て』から、あなたへの教育は無駄だったのかと思う事ばかり」

「申し訳ございません」

老婦人の芝居がかった溜息に、女は赤面して頭を下げる。

「まぁ、あなたの困った様子も面白いものですが。
……命名式までにはまだ期間があります。あなたにも手伝って頂きましょう」

「ありがとうございます」

老婦人が言う。

「良い名を、考えておやりなさい。『親』のいないこの子のために」

「……はい」


女は乳児を抱き、頷いた。



脱稿 2007.08.14