或ル国ノ話

065.fingers with different colors

「だいたいあなたは自覚が足りません!」
屋敷の離れからで、古参の召使の声が響く。
小間使いは、ビクッ、と体を固める。
あたりを見回すが、いるのは小間使いと世話をしている幼子だけ。
離れの庭は、厳しい陽光を遮るあずまやが設置されている。
邪魔にならな場所を探すうち、幼子に手を引かれて見つけたのだ。
誰の許可もとっていないので、若干不安だったのだが。
「……あたしじゃない?」
安堵のため息をつく小間使いに、幼子が寄ってくる。遊びが中断されたのが気に入らないようだ。
「小さい子どもから目を離してはいけません!
 どこで何をするか、わかりません!
 寝ていたからといって、席を外して良いわけがありますかっ?」

「――…………」

誰かが答えているようだが、声はほとんど聞こえない。
幼子が小間使いの指を握る。
「うー、ひらー」
「はいはい、『開いて結んで』ね」
小間使いは背中に両手を回す。
「さん、にー、いち、……わっ」
「アー!」
幼子の目の前に突然現れた手が、素早く開閉を繰り返す。はしゃぎ、幼子が手を振り回す。
「たしかに、一度寝ついたらなかなか起きない子ではありますが、今回のようなことだってあります。
落ちてけがをしなくても、目を覚まして、あちらこちらを一人で動きまわりますよ。あなたを探してね。
 あの年頃は、動くものは手にとり、とったら口に入れ、食べられないものでも食べるでしょう。探す途中、見つけた物を食べ、それでおなかをこわすことだってあるでしょう」

「――……」

「ならばなおさら目を離してはなりません!」

誰かの返答は、召使の怒りを買ったようだ。
幼子も腕を止めて、離れを見る。
「あなたのことですから、一度言えば大丈夫かと思っているかもしれませんが、あの年でそんな道理が通じますかっ? そもそも言葉が通じますかっ! いくらおしゃべりができるからといって、あんな小さい子どもに意味が通じていますか!」
小間使いは幼子を見た。

ふわふわとした色素の薄い髪の毛に、ぷっくらと丸い顔。
むっちりとした腕に、ぽこんとふくらんだおなか。昼餉をとったばかりで、体温も高い。

「たしかに、まだ通じないわ。今度で3つだっけ」
頬を掴むと、機嫌がいいのか、よく笑う。
「そりゃあ、無理よねー」
頭をなでる小間使いを、幼子が首を傾げて見ていた。



女は深くため息をつく。
「……耳が、痛い」
物理的にも、精神的にも。

耳をさすり、廊下を歩く。少々ふらついている。
離れから屋敷に通じる廊下は吹き抜けで、円柱で構成されている。太い円柱の作る影が、強い日差しと交互に並ぶ。
女は円柱にもたれ、庭を眺める。

――辺境において、夏季は厳しい季節である。
降水は滅多になく、大気は乾燥を極め、砂塵が舞う。それでもこの地で生きていけるのは、国境向こうの高山から流れる雪解けがあるからだ。
流れは川となる。川は生き物の体を潤し、周辺の耕作を可能にし、とれた穀物を運ぶ水運となる。
川は、同時に国境でもあった。治水の技術はあるが、取水も過ぎれば紛争になる。争いは師団の注意を奪い、辺境の治安維持を手薄にさせる。

(辺境の不安定は、川向こうの介入を招く。それは、望ましくない。向こうの種族構成を利用して、できれば、ゆっくりとしたーー)
「カー!」
女の思考が途切れる。
あずまやから、幼子が女を呼び、駆け寄ってくる。
隣で手をつないで走ってきたのは最近入った小間使いで、近隣の貴族の娘とのことだ。本家は都にあり、訳あってこの近隣に館を移した分家だという。
「勝手に立ち入ってしまい、申し訳ございません」
謝罪する小間使いに、女が微笑む。
「構いませんよ」
幼子が女に手を伸ばす。
反対の手は、小間使いと握っている。
女も手を伸ばす。



(……あぁ)
女は目を伏せる。



「カー?」
「どうなさいましたか?」



指を見る。
自分、小間使い、幼子。



「いいえ」
女は幼子の手を、肌を、覆うように握った。


脱稿 2009.09.22
改稿 2011.01.09