或ル国ノ話

017.public establishments

都の公園は、もとは軍が召集された際の、市民の集合場所の一部であった。
都や国の発達につれ軍の人数も増え、集合場所は都の城壁の外へ移される。

空き地は公有地とされ、権威(と資金が)ある者たちがこぞって議事堂や祭事場、公衆浴場や運動場、競技場に付属の公園を整備し始める。こういった公共建造物は、記念碑や彫像が飾られることで彼らに名誉を与え、かつ多数の市民たちの生活の向上に貢献した。

都を流れる川は、遠方から多様な食料品・嗜好品・装飾品・奴隷・獣・旅人を運ぶ。
船着き場の近くでは市がたち、次第に常設市場として整備されていく。

獣肉や植物、生活用品や有閑婦人向けの宝飾品の店が立ち並び、奴隷競売の競りの声が響く。市場はいつもひどく込み合う。通りを行くのは、日々の食料を買う市民、冷やかしの若者たち、使いの奴隷、宿を求める旅人たち。

市場を抜けると、運動場や競技場が見える。
競技場では祭日にあわせ、大がかりな催し物が開かれる。
付属の庭園は公園として、人混みの喧噪にあてられた者たちの憩いの場にも利用された。



つないだ手は荒れてけばだち、握った指は太く節ばっていた。
「テヲハナスンジャナイヨ。
 マイゴニナッタッテ、アンタミツケラレナインダカラネ」
見上げる。
洗い場の女は前を見て、どんどん人混みを歩いて行く。
その頭に結わえた荷物は、屋敷の洗い物で、特に汚れがひどかったものだ。
(どこ、いくの?)
引かれる腕が痛い。
人混みの中、体を引っ張り出すように歩く。
毎日洗い場の女を手伝い、奴隷頭に言葉を習い、また手伝いをして、食べて寝る。
屋敷には他にいろいろな者がいるが、何を言っているのかはやはりわからない。
(せなか、びっくりした)
洗い場の女と、風呂に入った時は驚いた。熱い水に入ることもそうだが、その背中に獣のたてがみのように、真っ白な毛が生えていたのだ。
(白くて、きれい。ぺったりだったけど、かわかしたらふさふさに――)


どん。


吹っ飛んだ。

青い。
白い雲。
空。
なぜか、晴天の空を見ている。

(?)

見回すと、周囲は足だらけ。
体がひっくり返っていた。
痛くない。
ぶよぶよとした緑色の物が体の下にあり、石畳にあたるのを防いでいるようだ。
(なに、これ?)
「ナニヤッテンダイ!
 ウチノチビガケガシタラドウシテクレルノサ!」
「オイオイ、ブツカッタダケダロウ。
 イヤマァ、ソレニシテモキレイニフットンダナ。
 ホラ、ダイジョウブカ」
体が起こされた。
低い音が響く。
顔を上げ、相手を見る。
(……?)
緑色の水の固まりが、ぷるぷる揺れている。
洗い場の女の膝くらいの大きさで、中は見えず透明ではない。
固まりの中心に、くぼんだ丸い皿のようなものがついている。どうやらそこが顔(?)にあたるようで、洗い場の女はそこに向かって怒鳴っている。
体の下にあったのも体を持ち上げたのも、この長いひものような水の固まりで、いつのまにかまた固まりの中に戻ってしまった。
「オオエライエライ、ナイテナイナ、ヨシヨシ。
 ドウモヨウタイノナキゴエハ、シンドウガヒドクテコマル」
音が固まりから響く。
撫でられた。
固まりからまた、ひものようなものが伸びていた。
冷たくも、温かくもなかった。
ぷよぷよしている。べたべたではない。
皿(?)が目の前にあった。
磨いた石のように、固そうで滑らかそうだ。
「ホラ、イクヨ!」
洗い場の女に汚れをはたかれ、腕を引っ張られる。
相手は緑色の腕(?)を振り、雑踏に紛れる。
(さわったら、なぐられたかな?)
またぶつかったりしないよう、前を見て人混みを歩く。



汚れがひどいものを大通りの専門店に預け、前に出した衣類や敷布を引き取る。
「アタシガイソガシイトキハアンタガヤルンダカラネ! ミチハオボエタカイ?」
大通りの近くの、人が少ない場所に出る。
水を吹き出す池、その周りを歩く小道、腰を掛ける石の椅子、獣や船の形に切られた木々。
洗い場の女が、椅子に腰掛ける。
地面に座る。
「ナニヤッテンダイ、ホラ」
椅子の隣が空く。
(いいの?)
見上げる。
「アア? セワガヤケルンダカラ」
体が浮き上がる。
抱き上げられ、隣に置かれた。
「キョウダケダヨ、カッテオイデ」
小さくてまるい、ぴかぴかする物をもらう。
人の顔が描いてある。
「ホラ、アソコダヨ」
洗い場の女が、近くで台車に果実を積んでいる男を指さす。
(どうするの?)
よくわからず、まるい物を噛んでみる。
固い。
まずい。
唾がたくさん出てくる。
見上げる。
「…………アアモウ、コドモダッテウンデナイッテノニネェ!」
腕を引かれる。
「ソコノイイノヲフタツオクレ。
 ヒトツハチッチャイヤツデイイヨ。
 ……ソレソレ、ソノブンマケテオクレ」
洗い場の女が、台車の男から果実を受け取る。
「ホラ、ダス」
腕が引かれ、手の中のまるいものを、台車の男に渡す。
「アイヨ、オツリダ」
台車の男から、先ほどと似たようなまるいものを渡された。
今度はあまり光らない。
「マッタクメンドウナハナシダヨ。
 カネモシラナイナンテ」
洗い場の女と一緒に、椅子に並んで座る。
果実をかじる。
甘い。
おいしい。
かぶりつく。
「アアホラコボスンジャナイヨマタシゴトガフエルジャナイカ」
汁が腕を滴り落ちる。
布でごしごしと拭われた。
痛い。
でも気持ちいい。
(……かあさま)

――長の部族が来たのは、いつのことだったろう。
使いは三度来て、三度帰った。
四度目は、火を放たれた。
(……ねえさま)
火に逃げ惑ううち、長の部族に捕らえられた。家畜の獣の世話を言いつけられ、それ以来、部族の者たちを見ていない。
母は、姉は、妹は、大婆は、母の姉は妹は。
どこへ連れて行かれたのだろう。

目がにじむ。
息が苦しくなり、何回も吸い込む。
のどがヒューヒューと鳴り始める。
声が止まらない。
「アアホラナクンジャナイヨドウシタッテイウンダイ、ソンナオオゴエデモウ」
何度目をぬぐっても、目がにじむ。
ヒック、と息がおかしくなる。
苦しい。
どんどん胸が痛くなる。



むぎゅ。



(?)

あたたかい。
見上げる。
洗い場の女の首がある。
「ナクンジャナイヨ、イマニナッテ。
 ナイタッテシヨウガナインダカラ」
(……だっこ?)
背中をぽんぽんとたたかれる。
(……かあさま?)
「ワラッテリャイイノサ。
 ナイタッテドレイノマンマナンダ」
母の声ではなかった。
もっと高い音だった。
もっと細い首だった。
もっと白い髪だった。
もっと違うにおいがした。
「ワラッテリャイイコトモアルサ」
鋭い音だ。
太い首だ。
焦げ茶の髪だ。
泡のにおいだ。
(でも、白くて、たてがみが、きれい)
ぎゅう、と両手で、洗い場の女の首にしがみつく。
背中をまた、たたかれる。
(きもちいい)




「アアモウイイカゲンニナキヤ――――――――オバカッ!
 ナニシテンダイッ!
 アタシノフクデハナカムンジャナイヨバカチビッ」


女はこうして、都に馴染み始めた。

2009.11.25 脱稿