或ル国ノ話

014.a chair which he could sit
      -the first part-

【本年における、脳内感染者の各種症状・言動の報告書】
※症状の挿絵を参照する場合は、取り扱いに十分注意すること。


石造りの長椅子には、絡み合う男女。母と、母の奴隷を仕切る家令。
男の背に食い込む指は男の血で赤く染まり、込めた力で震える。
はだけられた足は、男の腰に深く絡まる。

部屋から走る。
回廊を駆ける。

声が響く。母と家令。互いに呼ぶ名。
音が響く。男女。互いの体の音。

空き部屋に走り込み、嘔吐する。
腕を、石の床に打ちつける。
何度も。
何度も。
何度も。
血がにじみ、血が流れ落ち、奴隷に命じてその血を捨てさせる。



――父さま、父さま、父さま。
僕は、あんな、あんな、嫌です、母さま、違う、母さまじゃない、あんな、薄汚れた、卑しい、卑しい、汚ならしい、女、母さま、あんな、女、卑しい、血、血なんか、引いていない。

(責任のある、祖先の、古い、受けた血にふさわしい、蛮族とは違う、手本として、振る舞いを、庶民の、血の尊さを、高貴な。)

そうですよね、父さま、奴隷なんかとは違う、卑しいものとは違うんだ、そう、尊い血を、そう、引いたんだ。


陣中の天幕で、男は軍医から報告を受ける。
「自白を始めた?」
「はい。錯乱状態です。
 ……頭まで"歪み"が廻りました」
「どういうことだ」
「ふだん脳は無菌状態にあるので、"歪み"の感染には非常に弱い。
 感染すれば、脳を構成する物質の『崩壊』が始まります。
 『崩壊』が意識を司る部位に及ぶと、意識の混濁が発生することがあります」
「それはわかる。だが進行が早すぎる」
「感染の進行には個人差がありますので、なんとも」
「後で感染経路の詳細をあげてくれ。で、あの馬鹿の状態は?」
「現実、つまり自分以外の者や周囲の認識ができていません。
 自白というより、混乱した意識や思考がそのまま言葉になっています。」
「身体は動くのか?」
「今はまだ。ですが何をしているか、わかっていません」
「早すぎる。膨張は?」
「していません」
「『封』を敷いていたな?
 そのまま身体の『崩壊』まで監視しろ。
 今すぐに動かせる一級呪医は何人いる?」
「2人です」
「可能な限りでかまわん。言動の記録を行え。
 ……『誘導』は、容態が確定したら、署名入りで正式に指示書を出す」
「拝命致します。…………あの」
「どうした」
「……あの方の、記録と、『誘導』は、いかがしますか?」
「いや。…………………………あいつは、頭には。
 あぁ、………………そう、だ、な」
男は命じる。
「議員もあいつも、言動はすべてとって分析にかけろ。
意識があってもなくても、全てだ。
『誘導』の、準備も、2人分だ」
「承知致します」
軍医が立ち去り、陣中の天幕で男は一人、呟く。
「…………だから、馬鹿だと。……言ったろうに、俺は」



半円型をした議事堂は、壁も床も石。
発言者が立つ講壇も、議員らが座る長椅子も、石。
まもなく開始の時刻。徐々に議員が登院する。
父。
議員。
議員。
議員。
平民。
異種。
解放奴隷の息子。
解放奴隷。
蛮族。
蛮族。
蛮族。
女議員。
男。……男!
拳を握る。
唇を噛む。
血が上る。
動悸が頭に響く。
議事が始まる。
男が講壇立つ。
「――首都を支える同盟都市の協力に、――――をもって応える時が――――」
沸き上がる、拍手と怒声。
長椅子から立ちあがり、男と同盟都市への抗議を論じる。
途中、男の座席に視線を転じる。

女議員と男が。

笑っている。

こちらを。

わらっている。

舌が回らず、血が上り、視界が暗転する。


―――父上、父上、父上。
あの男は、男は、誇りもなく、私たちと、ともに、ともに誇りを示すべきであるのに、女に、奴隷に、蛮族に、女に、ああも簡単に、話して、誇りを捨てて、なぜ、なぜ、ああも 、尊き血を引きながら、なぜ、受け入れられて。

(人気取り、都、利益、庶民、一時的、娯楽、戦争、力、理想、力。)

そうですね、力、そうです、力ですね。私たちには大儀がある、理想は私たちにある、女や蛮族にはわからないだけ、気がつかないだけ、わからせてやらなければ、女に、愚かな者に、奴らに、力で、言葉のわからぬ者に、理性のない者に、力で、力を、力を!


軍医と呪医は、議員の様子を観察する。
「……ひどいな」
「えぇ……もう、身体の中では、臓器の『崩壊』が始まっています。
 身体に直接呪印を描いて『封』をしてますから、"歪み"が内側にこもってますし」
「……痛覚、残ったか」
「薬で消してやりたかったんですけど、消化器官からやられてて」
「最初から?」
「……はい、頭とほぼ同じ時期に」
「…………おかしいな」
「えぇ、まあ。
 ……"歪み"を身体の奥まで吸収して、血流に乗せ、頭でまず発症する。
 通常の、外からの感染経路じゃあ、ないんですよね。
 ……経口で摂取して、消化・吸収するまで、時間の調節が行われた、って考えるのが自然なんです」
「…………それならば、そういった物を偶然食べたと考えるのは、逆に不自然だな」
「消化される時間を計算し、何かで"歪み"を包んで摂取させる。
 食事でも、薬でも、いいんです」
「…………そして、発症した時には、すでに手遅れか」
「あそこまで頭に廻ってしまっては、もう。
 感染した部位を取り除けば、それだけで肉体が、死にます」
「…………『誘導』の準備を、進めてくれ」
「……命令、おりそうですか」
「だろうな。…………気が滅入るが、すまん。私も立ち会う」
「ありがとうございます。……手段は?」
「…………首吊りは無理だろう。
 可能なのは、銀器を使うたぐいか。いくつか用意してくれ」
「はい。……どうにも、できないんですよ、ね」
「ああ…………無理だ。
 あとは、意識と感覚があるまで苦しむしかない。
 自分の身体の『崩壊』を感じながら死ねば、次は崩れた身体の一片にまで意識が残る。
 そうすれば、焼却処理する際に、また苦しむ。
 ……生き物であるうちに、死なせてやろう」
「……感染、させられたんですかね?」
「…………確証はない」
「……ひどい、ですね」
軍医と呪医は、議員(の形が残っている)を観察する。


(後編へ)

2009.11.01 脱稿
2009.11.08 改稿