或ル国ノ話

014.no chair which he can sit
      -the latter part-

【本年における、脳内感染者の各種症状・言動の報告書】
※感染者の言動を読む際は、影響を受けないよう注意すること。


女が議員らの陣に来て、告げる。
「――"感染源"の発生――古来からの約定――進軍停止――停戦――」
あがる憤慨の声、怒声、罵声。
長椅子から立ち上がり、女に詰め寄る。
隣の兵士らに押しとどめられる。
「ご理解を――銀を帯びる責務――法に則り――"感染源"の除去――会談の手配を――」
女に唾を吐く。

女は無表情に、何もしない。

「ご理解を」

何事も、無いように、何も、しない。

隣の兵士らが、睨みつけてくる。

女に掴みかかる。

友人の議員や使用人に、止められる。
女は陣を立ち去る。
何もなかったように、唾を拭いもせず。



――議長、父上、議長。
栄誉ある、選良の、国家の中枢たる、認めないとは、尊き血を、意見を、認めないなんて、私を、認めないなんて、僕を、母上、僕を、僕を。父上、僕を。

(思慮、女、浅はか、言う通り、男、言いなり、正す、間違い、正す、力、正す、行動を、決断を、行動を、力で!)

そうだ、よくぞ、よくぞ、父上を、父上の書簡を、持ってきてくれた、奴隷の身で、そうだ、その通りだ、素晴らしい、偉大だ、素晴らしい文章だ、何度も、繰り返し、覚えるまで、ああ、もちろんだとも、何度も読もう、父上、素晴らしい、そうだ、書簡と貴重なこれを持ってきてくれたお前にも、褒美を。


獄へ向かう呪医は、議員の友人に話しかけられる。
「彼は、どうだい?」
「……守秘義務がありますので、お答えできません」
「それは知っているよ。
 君たち、舌には呪がかかってるんだってね。
 舌を溶かすだなんてそんな野蛮なこと、やってられないな。
 ま、そんなことは関係なくって、君から知りたいのは、彼は保つのかってことさ」
「……わかりません」
「ああ、厳しい様子だね。
 ではそろそろ自死の道具を差し出す頃合いかい?」
「存じ上げません」
「そうだろうそうだろう、知らないほうが楽だよ、こんなことは。
 だめかもしれない、でも、もしかして"歪み"が安定して、助かるかもしれない。
 助かるかもしれない人間を、死に導いて良いんだろうかって、そんな苦しい苦しい悩みはね。
 おや、その手に持った、いろいろな道具が彼のための候補かい?」
「もう、行かなければなりませんので」
「あぁ、お待ちよ。
 悩む君に助言をしたかったのさ、彼に安らかになってもらう方法をね」
「……」
「友人たちはみな、彼に同情しているのさ。
 苦しんでほしくないじゃないか。
 あれだろう?
 彼に『幻影』を送るんだろう?
 いい『幻影』があるんだ」
「……」
「そうそう、黙って聞くだけで良いよ。
 うっかり答えれば、君の舌は溶けるしねえ。
 彼に必要なのはこれ、『幸せな家族』って『幻影』だよ」
「……ご夫人や、お子さま方ですか?」
「ん? いや、……そうか、そうか。
 いや、いやいやまあまあ、ご両親、彼のご両親が良いと思うよ。
 なんといっても、彼が尊敬する栄誉ある父君、今なお麗しき母君、そんなご両親が、優しく彼を出迎えてくれる『幻影』とかね。
 童心に戻って、安心できるじゃあないか。
 君、そちらの方々の彫像とかなら見たことあるだろう?」
「はい」
「より鮮明な『幻影』が良いだろうさ。よりね。
 わかった?
 この『幻影』なら、彼も安らかに虚界へ下れるさ」
「……お言葉ですが議員。
 虚界は一般的に思われているような死者の世界ではなく、」
「はいはいはいちょっとした慣用表現さ慣用表現。これだから専門家ってねえ。
 あ、ちなみに君結婚してる?」
「……? はい」
「ご夫人とは仲いいの?」
「…………まあ、あの、その、ええと」
「おやまあまあ、ごちそうさま。なるほど、ねえ」
議員の友人は、獄へ向かう呪医を見送る。








 てがある。ゆびがふくらんでいる。

 ゆびわがぬけない。ぬくてがうごかない。


 て。              おちている。





 くつ。くつ。…………くつ。

「――タチアイノモト――ノ、ジッコウヲ」

 おと。

 うごく、ひかるもの。

「――ギンキ――テ――ムズカシイ」

 おと。



 ひか、り。






―――かあさま、とおさま、いたい、そちらに、いたいいタああああああいそこに、いても、うかがっても、いタい、そこに、いっても。

(こちらに、良い、お前は、休む、苦しみ、よくやった、おいで、安らかに、こちらで、 眠る)

ああ、お顔が、そちらに、かあさま、いたい、お顔が見えない、父さま、どうすれば、ああ、どうすれば、どうすれば、もとに、もとに、いたい、ああ、ない、なかった、いわなければ、もとに、かあさま、なかった、あんな、なかった、見なければ、なければ、言わなければ、なければ、とおさま、なければ、かあさま、みえるためには。





なければ。
めとくち。






議員の友人は男を見つけ、上機嫌に歩み寄る。
「おやおや、閣下にはご機嫌麗しく」
「……あなたか」
「いかにも。おや、もう彼の処置はお済みですかな?」
「……処置?」
「彼の体はもう崩れてしまいましたか?
 それとも自ら選んでおりましたか?」
「……都の議員の方々は好奇心がお強い。些細な噂話も、お見逃しないようで」
「いやいや物見高くて申し訳ない。
 しかし友人としては、彼の様子が気になりましてね。
 あなたや師団長殿に無礼に振舞ったのも、おそらく感染したゆえのこと。
 師団長殿には見逃してもらっても、あなたは彼まで許してくださるのだろうかと思いましてね。
 できればこれ以上苦しんでほしくない。
 家族のもとで、安らいでもらいたいのですよ。
 とても幸せな、家族の、ね」
「……ああ、なるほど、あなたか。
 なるほど、そういうことでしたか」
「ええ、どうです?
 彼には効果は十分でしたでしょう?
 尊敬するお父上、気高き人々の華であるお母上、そういった方に出迎えられるのですから。
 彼も心残りなく、虚界に下れるというものですよ」
「彼のご両親とは、ご面識が?」
「ええ、まあ。いや、いやいや、とはいえ、ごくごく僅か――」
「いやいやいや、それはありがたい。実は一つ困ったことがありまして、ぜひあなたにお願いしたいことがある」
「おや、なんだろうか。こちらでできることならば、何なりと申しつけてほしいが」
「なあに、あなたのように彼をよく知る方ならば適任だ。
 彼のご両親に、これを渡してもらいたい」
「……この袋には、何が?」
「彼の、遺髪だ」
「――――――――――!」
「ああ、そんな、放り投げないでほしい。
 『封』はすでにされているから、間違っても感染することはない。
 とても安全ですよ、とてもね。
 本来ならば、彼のご両親に直接渡すべきなのだが、こんな状況では難しい。
 部下に持たせるにも、度胸のある奴はなかなかいない。
 彼のことをよくご存じで、最期も手助けして下さったあなたならば、簡単なことだ」
「………………っっ」
「ほら、しっかりとお持ちになって。彼の形見だ。
 それと、特にお父上に、伝言もお願いしたい。
 彼の最期の様子は、詳細を記録している。
 こんな状況なので、すぐには議会や研究所に報告できない。
 『崩壊』したのかも『誘導』されたのかも、直接にお会いして、直接にお伝えしたい、とな」


男はわらい、議員の友人から歩み去った。

2009.11.06 脱稿