朝は日の出と共に起きる。
開門の鐘の音が響く。
獣毛を織った毛布をはぎ、寝台から降りる。
寝起きが悪いことは滅多にない。もっと自慢すると、寝付きもかなりいい。
家が市場に近いんで、朝も夜も人々が騒ぎ行き交うが、それで寝不足ということはない。
以前そう話すと、「庶民に交わって暮らすからさ」と知り合いに言われた。
「……朝っぱらから嫌なの思い出したなー」
ぼやいて着替えると、家内奴隷で幼なじみの少年が呼びに来る。
「若様! 朝飯ですよ! ってまた一人で着替えてるしっ! 俺に短衣の着付け練習させてくださいよ〜。俺の腕が上がらないっす」
「俺はお前の練習台か?」
軽口を叩き、幼なじみと食堂に向かう。
すでに朝食の準備は済んでいて、食卓には焼きたてのパンと野菜の煮付けなどが並ぶ。
「おはようございます。父上、母上」
両親に挨拶をする。
実母は産褥で死んでいる。後妻のため当然血のつながりはないが、冷静で賢い義母はかなり気に入っている。
「おはようございます、あにうえ」
「アニウエー」
異母弟妹も好きだ。構うと、とても面白い。
「起きたか。では祈りを」
食を司る神とほふられた命に感謝を捧げる親父。
そうして朝食が始まる。
「今日は十六人委員会の会議で遅くなる。食事にも招かれているので、夕食はお前たちで食べていなさい」
「わかりました」
義母に代わって答える。
すでに義母には伝えているはず。
だが親父が不在の間、この家の主人として振る舞うことを求められている。だからこそ、食卓で親父から直接伝えられ、また直接答える。
家内奴隷も含めて家族全員にみせる、権威付けの小芝居というやつだな。
親父のこうした躾は嫌いじゃない。
「今日も学校の後は運動場か?」
「はい」
「馬術もほどほどにな」
「……はい」
神妙な顔で頷くと、義母と視線が合った。
「お気をつけて」
声がマジだ。目もマジだ。
あれか、やっぱり目隠しして馬に乗ったのがばれたか。ってか、ちくりやがったな。
隣で食ってる幼なじみを食卓の下で蹴れば、だいたい朝食も終わる次第だ。
幼なじみに勉強道具を持たせ、都の中心にある議事堂の隅でやってる学校に行く。屋外なんで冬は寒いんだが、夏前だとちょうどいい。
「お前ばらしたな」
「ばれないと思ってたんすか若様。あれだけ騒がれれば、ふつーばれます。だって目隠しで馬ですよ馬。伝説の軽業師ですか若様は。そんなの見てそこらのお嬢さん方が黙ってるわけないないっす。運動場の周りの屋台じゃ評判っすよ。若様来る日は売り上げも上々ってかんじで」
「なんだそれは。じゃあ俺に売り上げの一割でも持ってくるべき――」
「そこっ! 私語を慎みなさい!」
あれだな、教師だから出来が悪い奴に鞭打つのは当然の話だが、たまに下手な教師は違う奴に当てることもあって、あれはいただけない。
「っ! 何をする!」
「申し訳ございませんっ」
「父上に言いつけてやるっ! お前も覚えていろっ」
うわー、嫌な奴に当たったなー。
「何で若様にも言うんすかね……間違って打ったのは先生じゃねぇっすか」
「黙れ奴隷風情がっ!」
うわー、馬鹿ー。
奴隷になるのも、このご時世、珍しい話じゃない。
まず、借金払えなければ、契約不履行で売られる。
死刑判決を受けて、生き延びるために奴隷扱いの剣闘士になる奴らもいる。
両親が奴隷なら、子も奴隷だな。幼なじみはこの分類だ。
一番多いのは戦争捕虜か。身代金を払えなければ、そのまま奴隷市場がたって売られる。
「あの馬鹿は、本ッ当に想像力がない」
「はい?」
「明日は我が身だってことがわからんのかな。指揮官が阿呆で負け戦なんてことはいくらでもあるだろうに」
「……あれっす。『チチウエ』が払ってくださるんでしょ、お金」
「そうだろうさ。だが、奴隷か自由人なんて階級は一時のものだ。解放奴隷が戦功たてて議会入り、なんて例もある。奴隷を理由に人を罵倒するとは、あれだ、頭が貧困だな」
「……若様」
「お前を馬鹿にするなら、もっとお前の身体的・精神的劣等感をいじるようにだな」
「……若様。あんたいっぺん奴隷になります?」
「おう。お前が身代金を持ってきてくれるんだろ」
幼なじみが黙り込む。返事が無い。
なんだかな。
その間に、体をほぐす。
今日も空が青い。雲一つない。
午前に学校が終われば、男子は運動場で体を鍛える。
陸上競技はほとんどできるな。
武器に防具の使い方も一通り指導を受けられるが、最近じゃ剣闘士の真似事が流行だ。人数を集めて2〜3組で団体戦をする。あれは頭も使うから面白い。
馬に乗るには年間使用料を国に払うんだが、自前で飼うよりは安い。
馬は言葉が通じない獣だから、動作や雰囲気から考えを読む必要がある。相手にいかに言うことをきいてもらうかが、頭を使うところだ。
よし。
「腕を縛ってくれ」
「……………………は?」
間抜けな顔だな。
「西の蛮族に、手綱も使わずに騎乗する戦士がいるらしい。できれば便利だ」
「いやそれ意味わかんないし。だったら手綱外せばいいだけでしょうが」
「たてがみを掴んでしまうかもしれん」
「……ほんとにやるんすか?」
「そうだ。さあ縛れ」
しぶしぶ、といった様子で手を縛る。
幼なじみの肩越し遠くに、あの馬鹿がこちらを指さして笑っているのが見える。
自慢の視力で唇を読む。
「キンニクバカガマタオロカシイコトヲ」、だと?
ふむ。
「ちょっと屋台に宣伝してこい」
「はい?」
「『今日もすごい大道芸が始まるから客寄せできるぞ』とな」
幼なじみは非常にあきれた顔していたが、最終的には大通り近くまで行き、一緒に客引きもしたらしい。
結果?
もちろん成功だ。ついでに目隠しと腕縛りも一緒にやって乗り回したら、ご令嬢たちの悲鳴もついてさらに盛り上がった。
儲けた屋台の連中から、「十日間一品無料権(2名分)」もとりつけ、育ち盛りの胃袋を満たせたしな。
うまい体の売り方だろう?
運動で汗をかけば、流したくなるのが人情だ。
運動場近くの、公衆浴場へ寄る。家に帰るより近いのもあるが、大きな公衆浴場はとにかく面白いというのが理由だ。
都は国の中心で、東西南北の街道に、虚界の道まで通っている。この大陸の種だったらほとんど見られる。実体が個体で水が大丈夫な奴らは風呂に入りにくるから、体もじっくり観察できる。
ちなみに、残念ながら混浴ではない。
公衆浴場はいくつかの部屋に分かれている。温浴風呂に蒸気風呂、極端な温度が好みの種のための冷水風呂に熱湯風呂、散歩用の庭や水練場もある。
最近は、按摩師に体を揉まれている時に観察するのが習慣だ。一番広い温浴風呂の隅が、ちょうどいい場所だな。
「坊ちゃんー、このへんどーですー?」
「おう、その調子で頼む」
「あいよー」
眺めれば、いろいろな種がくつろいでいる。
黒、焦げ茶、緑、紫、青、黄色、白の肌の色や、髪などの体毛の色。鱗や角や突起を持つ種。
触腕を動かす、体を屈伸させて移動する、二本の足で歩く。
軍人や議員や奴隷、若いもの老いたもの。
泳いだり、球技をしたり、散歩をしたり。
飽きんな。
「若様、服、頼んどきました」
幼なじみが按摩台の横に立つ。
脱衣室では服の窃盗がちょくちょくある。よくできたもので、服の見張りをして小金を稼ぐ奴もいる。どいつが信用できるかわかってくると、ちょっとした通だ。
「お前も揉んでもらえ」
「……いいんすか?」
「いつものことだろうが」
交代して按摩台の横の椅子にかけ、売り子から冷やした果実を買う。
かじり、また眺める。
採光用の天窓から、浴場に光が差し込む。
声が騒がしく響く。
話し合うもの、喧嘩するもの、黙って泳ぐもの、按摩に文句をつけるもの。
「若様。野郎の裸見てて、楽しいっすか」
「面白い」
「?」
「体で生き方がわかる。種で違うが、筋肉や体の動かし方、歩く姿勢からな」
「それ、面白いっすか?」
「……面白いな。裸にして、身分も服も剥いてみれば、自分しかない。結局、誰でも体一つが自分のものなんだな」
「…………………………意味、わかんないっす」
しまった。わかる言葉で言わなければ。
「どんな金持ちだろうが貧乏人だろうが、異界の種だろうが、裸にすれば皆同じ『生き物』だということだ」
「……………………」
「坊ちゃん、難しいこと言うねー」
幼なじみの表情は、いまだ理解したとは言い難い。
他人に、考えを、過不足なく、理解させるのは、難しい。
伝えきれんとは、まだまだ未熟だ。弁論術を練習する必要があるな。
公衆浴場からあがれば、後は帰るだけだ。
大人は夜の楽しみもあるようだが、子どもは帰宅して夕食となる。
都を十字に貫く大通りを抜ける。
通りの居酒屋からは、近隣の海産物の揚げ物や焼いた獣肉のにおいが漂ってくる。
気の早い連中はもう酒が入り、詩人の歌や踊り子に野次を飛ばす。
人混みをすり抜け、家路を急ぐ。
「若様」
「なんだ」
「……若様」
「なんだ」
話ながら、人にぶつからないようにするには技術がいる。常に前方の距離を見ておかないとな。
「若様。あのですね」
「ああ」
「……もし、もしですね。もし、若様が捕まって、俺が身代金持っていくことになって、もしですね」
「ああ」
「もし、俺がその金持って逃げたら、どうします?」
とりあえず、大通りの路地に入り、幼なじみを見る。
「どうした?」
「いやほんと思いついただけで、別にほんとにそんなことするっていうか、もしもの話ですよもしも」
視線が定まっていない。
唇が乾くのか、しきりに舐めている。
手が髪を触り、腕をかき、尻尾をいじる。
「ほら、奴隷の話、したじゃないっすか」
様子がおかしかったのは、これか。
どうも今日はこちらをよく見てくると思えば。
「お前が、金を持ち逃げしたら、か」
「ええまあ。でももしもの話ですから、もしも」
目をのぞき込む。その虹彩が、すぼまる。
「お前、金の奴隷でいいのか?」
「……………………はい?」
「金があれば自由民になれるが、お前、生きている間はずっと後悔するだろう?」
「……ええ、まぁ」
「身分は解放されるが、お前はずっと金の奴隷だな」
「…………………………」
「それで、いいのか?」
幼なじみの拳が握られ、唇が噛みしめられる。牙の歯が出てるぞお前。
なんだかな。
そもそも、こうやって尋ねてくるような奴は持ち逃げなんてしない。
こいつもする気なんて全くないだろうし、こうやって問い返されるとも思っていなかった。…………こいつが聞きたい答え、では、なかっただろうよ。
ああ、皮が破れて血が出た。お前、わかりやすいな。
「お前、しないだろう」
顔が上がる。
「お前が持ち逃げなんてする、いや、そもそもできないだろ? 意外と小心だしな」
「しょ、小心ってなんすか若様俺のこと見くびってませんかっ」
尻尾が振られる。
「お前がそんなことをするとは思えないからな。お前の仮定は無意味だ」
尻尾がちぎれんばかりだ。望む言葉だからな。
「ちょ、ま、そりゃ当然ですけと、俺を甘くみないでほしいってうか、ともかく小心ってのはやめてほしいっていうか」
「よし、帰るぞ」
「若様あんた人の話聞いてますっ?」
夕食、なんだろうなー。
以上が、今日の一日。
義母から出された宿題だ。一日を客観で振り返り、まとめる。
まとめることで、日常の仕組みを抽象し理解する、というのが狙いだが、難しい。
この、日常の生活から共通の概念を抜き出す、というのがまた。この文章も添削されるしな。
夜は学校の復習を、義母や家庭教師と行う。
金持ちは光源もいいものを使うようだが、我が家は油灯。薄暗く字は読みづらいので、口頭で質問に答え、また議論をすることになる。
そろそろ時間だ。
終了。
2009.10.18 脱稿
2009.11.08 改稿