metamorphosis -the decision period-

再会 16


 木々の隙間、藪の上、風の通り道に従って霧は蠢く。
 その白いうねりの上、時折揺らぐのは実体のない、黒い影。
 跳ねては弾み、弾けては散り、散っては緑葉に重なる。
 葉ずれか囁きか、かすれて空気を振るわせる音は区別がつかない。
 エクタールを先頭に、アダイを殿にし、森の中、幼子に続く。
「決して、応えないように」
 森に入る前、エクタールは一行に繰り返して告げた。
「森がたてる音に、決して応えてはなりません。
 森の音には妖精たちの声が混じっています。
 応えては彼らが私たちに気づき、興を引いてしまう。
 ここは妖精の力が強い『境の森』、決して、音に応えぬように」
 代わりに、と森をかき分け進みながら語りだしたのは、道案内の幼子の、かつての話。


……その日、小さなラッツは村の子どもたちと共に『境の森』の近くにいた。薪を拾うために。
……事故だった、とても不幸な。僅かな段差で足を滑らせたラッツは、仰向けに頭をぶつけた。大きく平らな石に、強く。
……壊れたのだろう、頭のどこか大事な部分が。血を流しもせず、痛みに呻きもせず、しかしラッツは目を開けなかった。年かさの子どもたちがどんなに叫んでも。
……幸か不幸かわからない、森の番人が、村の大人たちがいなかったのは。森が囁いたのだ、手を貸そうか、起こしてやろうか、と。
……子どもたちは、応えてしまった。貸して、ラッツを起こして、と。


「あれは人の体をしていますが、すでに人ではないのです」
 指さされたのは、幼子の首の後ろに密生する、白い茸の群。
「語っているのは、しゃべらせているのは、あれらです。
 動けなくなった獣の体を乗っ取り、根を張り、自分たちに良いように体を操る。
 ふだんは実体を持たない妖精ですが、仲間を増やす時はこうして生き物に取り付き、肉体を得るのです」
 幼子が振り向く。
「こんにちわぁ」
 誰も応じない。
「……もう、その子は、生きてはいないの?」
 エオに手を引かれるフィリノーフィア、おずおずと、エクタールに尋ねる。
「ええ、小さなレイディ。
 人としてのラッツは死んだのです、頭を打った時に。
 あの子の体は今やあれらのもの。
 体の至る所に根をはられ、いずれあれらの苗床とされます。
 ……あれらは確かにラッツを、小さなラッツの目を開きましたが、それは子どもたちが、人が望んだ形ではなかった」
 エオは異母妹を諭す。
「フィリー、妖精と人は、違う生き物なのだ。人の言葉を解し、人の姿をとったとしても、その考え方はお互い、ずれている。
 相容れぬことのほうが多いのだよ」
 困り、フィリノーフィアはセタンを見上げる。婚約者の少年は心配そうに見ている。
 後ろにいる従者とアダイを振り返る。従者は俯き、アダイが口を開く。
「こいつの親戚だ」
「え?」
 従者を指す。
「あの取り付かれてんのは、こいつの、ドゥオってんだが、こいつの親戚だ。
 親が早くに死んで、アレはこいつん家に引き取られてた。
 面倒見てたからな、諦めきれないんだろ」
「……アダイ様だって、よく面倒を、」
 最後まで言わせず、アダイが従者を殴る。
「黙れ、誰が口を開いていいと言った? 歩け」
 従者は再び俯く。
 歯を食いしばり、軋ませて。
 少女が尋ねる。
「……アダイは、いいの?」
 何が、とは、アダイは問わなかった。
「引きずられる」
 と、それだけを答えた。
 少女は口を噤み、一行は歩き続ける。
 やがて太陽が南中にかかる頃、幼子は振り返り、言った。
「着いたよぉ」
 

   

 2010.07.06