metamorphosis -the decision period-

再会 13


 雨は夜半になっても降り続いた。
 狩猟小屋にうちつける雨の音に混じり、獣の遠吠えが聞こえる。
 一頭か二頭か、いや、それよりも群れで暗夜を駆けているのか。  低く、長く、耳朶を震わす。
 土間の中央、明々と炉の火は燃え、くべた薪が炎をなす。炎はすきま風に揺らめき、濃く、土壁に人影が踊る。
 一行が簡単な夕食を終えると、エクタールが口を開いた。
「小さなレイディ、あなたを守るためには我が兄の力が必要です」
「あら? 黒騎士様の血のお守りでは効かないの?」
 少女が首を傾げる。
 ここ数日の馬での移動をものともせず、フィリノーフィアはお目付け役もいない旅を楽しんでいた。身分を隠すための小姓の格好は特に気に入り、休憩のたびに周囲を走り回っている。
「あれは仮の連なり、あなたは妖精の仲間ではなく人の子なのだと、サンプ・リギーに強く告げただけのこと。時が立てばまた、あなたを連れ出しにやってくるでしょう。
 その時、私の力だけではあなたを守れない。
 あなたを最初に見つけた時も、『また遊ぶ』と時期を延ばしただけのこと。それとて、いつまでも引き延ばすことはできません。
 いずれサンプ・リギーは果たされない約束に怒り、手ひどい害をもたらすでしょう。
 なれば約定を変えねばならない。何者かがサンプ・リギーと結んだ、あなたを『連れていき共に遊ぶ』ことを許した約定を。
 そして妖精との約束は、サンプ・リギーの居場所に赴き、彼らと直接に交渉しなければ変えられない。
 それができるのは、私は非力ながら我が兄しか知らず、かの人は『境の森』に行かねば呼び出せないのです」
 少女は口を尖らせる。
「でも……でも、遊ぶお約束を変えるのは、いやだわ。
 あの子たちと遊ぶのはとても楽しいの。お家にいても誰も遊んでくれないし、お母様は妹につきっきり。街の子とは遊んじゃだめってばぁやも言うし。あの子たちと遊ぶことって、そんなにいけないこと?」
 青年が問う。
「エオ殿やセタンと遊ぶのは、お嫌いですか?」
「ううん、そんな、ぜんっぜんイヤじゃないわ」
「おや、可愛い妹に嫌われていなくてよかったよかった。安心致しますな、セタン様」
「ええ、本当に!」
「お兄さま! セタン様!」
 フィリノーフィアはエクタールに向き直る。
「黒騎士様、ずるい聞き方をされるのね。
 わたし、あの子たちもお兄さまもセタン様も大好き。
 でもあの子たちも大好き。
 あの子たちだけ遊んじゃいけないって、そんなのイヤだわ」
 黒騎士は微笑む。
「レイディ、小さなレイディ、では、伺いましょう、あなたは帰れましたか?」
「……?」
「あなたはサンプ・リギーと遊んでいた。
 とても楽しかったでしょう?
 夢中で遊ばれていたでしょう?」
 こっくり。
「では、遊んでいたあなたは、帰りたいと 思いましたか?
 ほんの少しでも、あなたのお母様やお兄さまやセタンを思い出されましたか?
 あなたのお屋敷のことを、ちら、とでも思いましたか?」
 少女は、うごかない。
 薪が炎にはぜ、火の粉を散らす。
 雨音が強まる。
「……フィリー?」
 びくり、顔を上げ隣のセタンを見上げる。
「ちがうわ、ちがう、セタン様、私、ちゃんと帰れるわ、ちょっと楽しかっただけなの、ちゃんと陽が暮れる前には帰るのって――」
「――思わなかった、そうでしょう? 小さなレイディ」
 くしゃり、少女の顔が歪む。
「ひどい、ひどいわ黒騎士様、うそじゃないわ、本当に帰るって思ってたのよ、あの子たちと遊ぶ前は。でも楽しくって楽しくって、そうよ、黒騎士様にお声をかけられる前は、おなかもすかなかったの。ねぇお兄さま、セタン様、つぎは気をつけるわ、ぜったいに帰るの、ねぇ、だから、だからあの子たちと遊んじゃだめって言わないで!」
 悲鳴にも似た異母妹の声に、しかしエオは首を降る。
 ゆっくりと。
 横に。
「ならない。
 フィリノーフィア、可愛い小鳥よ、それはならないのだ。
 妖精は気に入った者を住みかへ連れていき、仲間とする。
 人の子が妖精と遊び続ければ、心を変えられ、体を変えられ、いずれは妖精となる。だから妖精の住みかへ行っては、もう、人の子は帰って来られない。来られる者は……その者はすでに人ではないのだよ」
 エオは続ける。
「お前が人でなくなってしまうのは、とてもとてもつらいことだ。だからどうか、この兄を、兄弟を、お前の父や母を悲しませないでくれ」
 ぼろぼろぼろぼろ。
「フィリー!」
 少女が泣きじゃくり、セタンが慌てて慰める。
「ひどい、ひどいわ、なんで私ばっかりだめなの? さびしいの、だれも遊んでくれないのよ? 帰ってくるわ、ちゃんと、つぎは帰ってくるわ、ねぇ、お願い、お兄さま、セタン様、お願いよ……」
 ここで、食後にずっと寝転がっていたアダイが顔を上げる。
「……っるせぇな、ロクに寝れやしねぇ。見張り番すんだから、寝かせろよ……。ったく妖精だろーがこんなガキんちょだろーが、お前の兄貴だったら蹴るなり殴るなりで言うこときかせんのに、お前ってほんと甘いよな」
「アダイ、ガキとはなんだ。口を慎め」
「へいへい」
 従者に水を持ってこさせ、身を起こす。
「……っ黒騎士、っ様の、っお兄っ様は、どうなの?」
 ひくっ、と少女は泣いている。
「っお兄っ様は、なんで、っ大丈夫、っなの? あの子たちと、っお話、っするんでしょ?」
 自分は駄目なのに、エクタールの兄はなぜ 妖精のもとに行って良いのかと、そう言いたい様子。
 エクタールとアダイは顔を見合わせる。
「なんでって、そりゃ、お前の兄貴アレだし、ってはいはいはいわかったわかった黙ってるから睨むなって!」
「レイディ、小さなレイディ。
 ……我が兄は、血の連なりのない、仮の兄。それは、かの人がある日『境の森』に現れ、私の母と父に預けられた者だからです」
 術師エオ、はっと顔を上げて問う。
「エクタール殿、もしや、貴殿の兄上は」
 黒い若者は頷く。
 うっとりと、そこに面影が浮かぶという様子で中空を見つめ。
「ええ、エオ殿、そうです。
 兄は、あの人は、人であって人の子ではない。
 人の肉と人の心を持つ、妖精の子なのですよ」
 

   

 2010.06.13