……程度の強弱はあれど、ダルジェンにおいて森は、妖精の住処。
妖精は森に多く遊び、人の多くは妖精の力に耐えきれずその身を害した。
ゆえに古来、人は妖精と約束を交わし、島は二つの地に分けられる。
森が成す輪の中は境の内側、すなわち妖精の地、ために人は弄ばれる。
人が築く陣の中は境の外側、すなわち人の地、ために妖精は排される。
狭間に在るのは、森の無い荒れ地や平野、森を切り開いた平地の畑や牧草地。それらは全て、境とされた。
境は交わりの場所。
境において、妖精は興が乗れば人で遊び、人は危機を覚えれば妖精を排して構わない。
身を守るために人は知恵を蓄え、もって都市の壁や村落の囲いを築き、妖精を遠ざけ、時に使役するまでとなる。代々に渡り、あるいは一派となって知恵と技術を磨く者たちを、人は自然と『術師』と呼んだ。
……とは言え、島の妖精すべてが人の害ではないように、島の人すべてが妖精を恐れたわけではない。
遙か昔、ダルジェンに北氷の海の民が訪れる。
彼らの船は喫水浅く、大河セカンナや他の川を軽々とさかのぼり、故郷に似た森や山中を居として住み着いた。
風を読んで荒海を行き交い、気配を察して山や森で狩猟を行っていた生業(なりわい)からか、見えぬのを視る目、聞こえぬものを聴く耳を、彼らは生来その身に備えていた。
その資質より、言葉交わす異種の妖精は油断ならぬ友であり、平地に住む同種の人は限りある食料を奪い合う敵であった。
彼らは森や山ごとに部族を成し、時に弓馬でもって平地を襲い、時に祭りでもって平地の民と和す。
……100年、200年が過ぎ去り、ゆっくりと、だが確実に、ダルジェンの民は部族を支配者として受け入れた。
戦いに長け妖精を友とした部族に、平地の民は争うより和すことに利を見た。
部族が仲立ちになれば、妖精から受ける害が減る。
部族の船があれば、大陸とも交易ができる。
――妖精よりはまともな部類。なに、年貢さえ納めれば、困る奴らでもない。
後に伝来した教会の教えもまた、島の共存を促す。
島に伝来した『柱の神』の教えは、土着するなかで妖精たちを『神の使い』の一種として取り込み、さらに部族を妖精の代弁者とした。
妖精の言葉を伝えるものは神官として神聖を帯び、その利に気づいた部族はこぞって信仰を受け入れ、支配する平地の民にも教えを伝えた。
……幾世代も、人の世が代わる。
出身も風俗もまるで異なる人々は、同じ神を奉じ、同じ教えで律された日常を生きる。部族は交易に、平地の民は土に、汗を流して。
……恵み深きトゥーガス。
ヴォルドラルドより北西、騎行三日。
近隣、妖精の群生地として名高い『境(さかい)の森』を擁する。
『境の森』は数多くの妖精が現れ、またその地に流れる『地脈』も強い。
『境の森』は、異界の扉。
人と妖精のみならず、この世と異界を分ける、境界の森。妖精は森に潜って界を渡るが、人ではとうてい叶わぬ所行。迂闊に通れば熟れた無花果(いちじく)の如く、その肉体は弾けとぶ。
その危うさに平地の民が請い願い、部族の一つが森に番人を置いた。
人が異界に入らぬよう、異界がこの世に溢れでぬよう。
2010.05.30