metamorphosis -the decision period-

再会 5


 控えの間を退出したエクタールは、無言で大広間を抜け、大股で城内の中庭を横切る。
「ありゃ、黒騎士さまはずいぶんとお急ぎで。どうなすったんだか」
「さてねぇ」
 濃紺のサーコートは翻り、その勢いに、通りすがりの召使いらが首を傾げる。
 尻尾を振る犬の横をすり抜け、昼餌用に料理人に引かれる豚の背を飛び越え、隙あらば身体によじ登ろうとする猫をかわし、エクタールは中庭の隅に狙いの人物を見つけ叫ぶ。
「騎士アダイ、歯を喰い縛れ! それで許すっ!」
 呼ばれたアダイ、馬もかくやという勢いで駆けてくるエクタールを見て顔をひきつらせる。
「ちょ、おいっ、待てっ、何だって――」
 反射的に、目をつぶり、言われた通り奥歯を噛みしめる。
 直後。
 エクタールの右の拳が、唸りをあげてめり込んだ。
 腹に。



「っざけんなっ、(咳)、てめぇ、(咳)、なんで殴っ、(咳)、た(激しい咳)」
 騎士アダイはエクタールと同じ年頃、同じ背丈の若者。
そのアダイの身体をエクタールの拳は数秒、浮かせた。
「貴様、あの人のことを王に喋ったな?」
「……………………………………は?」
「昔、あの人はみだりに自分のことを話すなとお前や私と約したはず。その約束を破ったお前に、罰が与えられるのは自明の理だ」
「…………あーーーー、はいはい、わかった、お前の兄貴のことか。そーいや、そんなこともあったっけか、なぁ!」
 なぁ!、とアダイは唐突にエクタールに殴りかかり、しかし簡単に腕をひねり上げられる。
「ででででででっ、ちょ、バカ、折れる!
 つーかなんで腹殴んだよ顔じゃねぇのか、今の流れなら!
 不意打ちもいいとこだぞ、ってだからいでぇ!」
「今日よりお前と共に調査をしなければならないのだ。そんなお前の鼻が折れていたら容姿醜く、民が怖がる。また、顎を砕いて食事が摂れなくては騎士として役に立たなくなる」
「…………エクタール様、あの僅かな時間に、そんなことまで考えられていたのですか」
「セタン様、エオ殿、しばし失礼を。すぐに済ませます」
 唖然として二人の騎士を見るのは、王の息子セタン。
 今年十六、若木のごとく健やかな体と心が城内や町でも評判な少年で、母譲りの金髪が銀のサークレット(細い輪状の髪留め)の下で輝く。
「黒騎士殿、騎士エクタール殿、その、アダイ殿が相当に苦しげなご様子だが……」
 術師エオが、恐る恐る、とエクタールに話しかける。
 父に似て丈低く細身で灰色の髪、術師の証であるトネリコの杖を持つ。
「はい、苦しくしておりますゆえ。
 あぁ、エオ殿。これからのこと、術師の方々の力を借りねばこの非力な身では解決できぬでしょう。
 ご助力に感謝致します」
「なに、愛らしい妹を取り戻せたのはエクタール殿のおかげ。兄弟のみならず、家をあげて協力する所存だ」
「ありがたき言葉、神に感謝を!
 その後、妹御に何かおかしなことはありましたか?」
 エオの顔が強ばる。
「…………お気づきか」
「私の力では妹御をこちらに呼び戻すことしかできず、妖精の呼びかけを防ぐ手だてを知らぬのです」
 セタンが声を上げる。
「エクタール様、フィリーは、フィリノーフィアには、まだ危険があるのですか!?」
「お静かに、セタン様」
 エオは少年を宥め、周囲を見渡す。
 城内の中庭は召使いや職人、町の商人たちらが行き交い、従者をつれた騎士たちが、
「ほどほどにしておけよ!」
「アダイの奴、またなんかやらかしたのか」
と冷やかして通り過ぎて行く。
「……お静かに、セタン様。この件、あまり人に聞かれぬほうがよい話です。
 どうだろうエクタール殿、城下の我が家にいらしてはいかがか?
 昼のもてなしも用意させているし、妹の様子もうかがえる」
「それは妙案」
 エクタールはセタンに向き直る。アダイはいまだに腕を取られて呻くまま。
「セタン様、王は私めに、あなた様を従者としてお付けになりました。
 こたびの件の間、私はあなた様を王の御子でなく、見習いの従者として扱いましょう。それは決して楽ではないこと。もし耐えられなければ、いつでも仰って下さい。すぐに王の下に帰しましょう」
「……そして、あなたは僕を軽蔑するのですね、エクタール様」
 少年は碧眼を、きっ、とつり上げ、師となる騎士を見上げる。
「どうか、エクタール様、僕のことはただセタンと呼び捨て下さい。僕が願い、父が命じた時から覚悟はできています。
 僕は、僕はあなたのような騎士になりたい!」
 エクタールはかすかに顎を引き、――アダイの肩を押さえる腕に力を込める。
「ま、エクター、いででででっ、いく、まじで、まじでイクからってぎゃああああ!!」

 ボグ

 鈍い音とともに、アダイの肩が外れた。
「承りました。ではセタン、この時からお前を我が従者として認めよう」
「はい!」
 見つめあう新しい主従。
 その背後で放り出され、痛みに悶絶して転げ回る騎士。
「アダイ殿、アーダーイー殿〜〜、聞こえているかー?」
 その騎士の肩を、更に杖でつつく術師。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃーーっ」
 野太い悲鳴に城内の鵞鳥(ガチョウ)たちも唱和し騒ぎ立てる。
 事件の捜査は、こうして始まったのだった。
 

   

 2010.03.28