metamorphosis -the decision period-

再会 4


「騎士エクタール、御前に参上致しました」
「そう畏まらずとも良い。顔を上げよ」
 猛き炎ランシス、ダルジェン中央部の支配者。
 近年その頭角を表し、交易港モイルッドで大陸との貿易を抑え、ヴォルドラルドを築いてダルジェンの北部への支配を狙う。
 齢三十八を数えた王の堂々たる体躯は野望と覇気を発し、鋭い碧眼はまみえる者を自然と圧する。
 書記官に羊皮紙の書類を渡して人払いをすれば、奥の間は王に智者に黒騎士だけ。
 優美な椅子に腰掛けたランシスは、ひざまずくエクタールを見据え思案する。
(森の血を引くゆえに、適任か)
 黒騎士エクタール。
 黒揃えの武具をまとい、隼の紋章をたなびかせる勇者。
 腰まで伸びた美しい黒髪はその緩く編まれ、濃紺の麻地に蔓草の刺繍を施されたサーコート(足首まである上着)の上を艶やかに流れる。
 秀でた鼻梁に涼しげな目元、頭一つ周囲から抜け出た背丈。
 鎖帷子の下にしなやかな筋肉を隠し、重い長槍を軽々とふるう腕力は異常。
 優男と侮って挑めば、何十合と槍を打ち合ったとして息も乱さない。
 馬上から叩き落とされ、剣を弾かれ、突きつけられた穂先に息を飲む。
「騎士エクタール、お主はトゥーガスの出自だったな」
「はい。森深く、水の恵みも豊かな土地でございます」
「そして、妖精も数多い土地柄だな?」
「…………はい」 
 王を見上げるエクタール、その表情が固くなる。
「先日の件だが、お主の働きによってルグの娘は救われた。
 あぁ、謙遜など無用だぞ? 
 正しく、お主の機転を行いで妖精の仕業とわかったのだ。でなければ、今だに人さらいやら盗賊やら、見当違いを探しておったろうよ」
 ランシスは言葉を切り、かたわらに立つルグを促す。
「字は読めたな?」
 ルグに示された羊皮紙の文章に、エクタールが困惑を漏らす。
「…………尊きお方、これは、一体?」
 王に代わり、ルグが応える。
「『騎士エクタールに、これらの失踪事件に関する全ての裁量を与える。彼の者の命令は王の言葉とし、何人(なんびと)もその依頼を拒んではならぬ。』
 読んでの通りじゃ。
 王はこの事件について、お主にその解決を一任することを決められた。
 消えた子どもを見つけることができたのは、貴殿のみ。儂も王のご意見には賛成じゃ。できうる限りの協力をしようぞ」
「…………しかし、先の件はたんに幸運だっただけのこと。私が持つ妖精や術の知識など、術師や教会の方々にはとうてい及びません。
 無礼を承知で申し上げます。どうか、猛きお方、この若輩の身にそのような大任を申しつけること、ご再考下さい」
 意に反する黒騎士を、ランシスはしばらく無言で眺める。ひざまづき、顔を伏せ、その表情は伺えない。
 鎧戸を開いた格子窓から、秋の陽光が差し込む。
 階下の大広間や中庭の人々のざわめきが、風に乗って控えの間のタペストリを揺らす。
 王が口を開いた。
「兄が、いたな」
 ぴくり、と。
 俯くエクタールの、肩が動く。
「兄がいるそうだな。
 特に、妖精のしきたりに詳しい兄だと、騎士アダイから聞いた。
 この度の事件、術師も教会の僧も、誰一人として妖精の仕業とは気づかなかった。
 つまり気が付いたお主には、この件を解決するに足る能力があるということ。ならばお主以外の誰が適任だ?
 知識が足りないというならば、術師にその知恵を借りよ。また、詳しいと聞くお主の兄に助けを求めよ。そのためにこの権限を与えている」
 顔をあげたエクタール、その眉目は苦しげに歪んでいる。
 怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ痛みが走るかの如く胸を抑えて。
「…………しかし、尊きお方、兄は、私の兄は血の連なりのない、義理の兄。
 おそれながら、兄が私の意に沿うてくれるかは、全くわからないのです」
 猛き王ランシスは、覇気を滲ませて笑った。
「くどい。
 重ねて言う。
 適任はお主一人。民は、幼子を持つ親たちは怯えている。明日いなくなるのは我が息子か、娘か、とな。
 騎士たる身で、詩にも歌われる黒騎士の身で、なおも拒むか?
 弱い者、貧しい者を守る剣を下げながら、兄の機嫌一つで怯むのか?
 ならばお主に騎士たる資格は認めんよ。
 その剣を捨て、今すぐにここより去れ。
 武勇を誇ろうと性根がそれでは、我が配下に必要ない。
 疾く、失せろ!」
 滲む。
 赤く。
 噛みしめられたエクタールの唇から、血、一筋が。
「………………御前にて、たびたびの無礼、失礼致しました。
 騎士エクタール、謹んで、猛きお方の令を拝領致します」
 応える若者の声は、常と違い絞り出すように掠れている。
「許す。
 何かと必要であろう、銀貨と通行許可証を用意した。他に足りぬものがあればルグが用立てる。各月の始め、報告も兼ねてルグのもとへ出よ。
 期限は春のサナの祭りまでとする。
 ……ああ、そうだ、お主一人だけに背負わせるのも酷と言うもの、供を付けることにした」
 血を拭った若者は、「供、ですか?」と目を瞬かせて王を見上げる。
「中庭で待たせている。
 同郷の騎士アダイ、お主の兄の話を聞いた。面識があれば、何かと動きやすかろう。学院の術師エオ、あの娘の腹違いの兄だ。若くともルグの仕込み、術に詳しい。そして」
 王は笑う。目を細め、楽しげに。
「我が息子、セタン」
 黒騎士は息を飲む。
 セタンは王ランシスの第一子。のち、この地を継ぐ者。
「セタン様は我が娘フィリノーフィアの婚約者でな。話をお聞きになり、是非に、とご協力を申し出て下さった」
「…………左様で、ございますか」
「あれも十六、騎士の振る舞いを学ぶには良い機会だ。お主の従者とする。上手く使え」
 事件の解決と、王の息子の教育。
「騎士エクタール、王と神に誓い、こたびの任を果たしましょう」
 併せた重責に、しかし、黒騎士エクタールは二言はないと受け入れた。





 黒騎士の退室後、王と軍師は謁見のため、大広間へ向かう。
「本当に、人さらいではないと思うか?」
「……そうであれば良いのですが」
 交わした会話はざわめきに紛れ、今日も大広間でヴォルドラルドの統治が始まる。
 

   

 2010.03.21