―――機密書類は、一定の保持期間が過ぎると公開される。
 保持期間は約30〜50年。
 書類の多くが、当時の権力者達の思惑や重大事件の裏事情を物語る。
 今回公開された書簡集も、当人同士の私的情報が多いにしろ、70年前のガイロス帝国の一級機密書類と言ってよいだろう。
 保管場所は皇室文書館、差出人は皇后メリーアン、受取人は時の皇帝ツェッペリンU世。俗に言う、ルドルフ大帝である。
 最初の書簡は、皇后がお忍びで向かったヘリック共和国から始まる。

『(前文略)以前のように、変装して行く旅行はとても楽しいものです。陛下と一緒ならばもっと楽しい道中なのですが。
 さて、今、私はヘリックにおける今回の裁判の報道を拝見しております。けれど、見れば見るほど、そして知れば知るほど、この裁判に対する困惑は深まるばかりなのです』



「陪審裁判?」
「ええ、そうです」
 聞き返せば、ルドルフはあっさりと答えた。
 メリーアンはティーカップをソーサーに戻す。
 馥郁とした茶葉の芳香が、春の陽光を受けるテラスに漂う。
 皇帝陛下、午後のティータイム。
 ご相伴にあずかるのは、昨年婚約者から皇后となったメリーアンだ。
 皇帝と同い年の二十五歳。美しく成長した彼女は、普段はそれこそ強力な猫をかぶっているが、瞳の奥におてんばな気性が見え隠れする。
「ヘリック共和国では、陪審員が判決を左右する裁判があるんです」
「陪審員というのは?」
「共和国の市民の中から選ばれる人のことです」
「何の資格もなく?」
「成人以上の市民であれば」
 複雑に編みこまれた栗色の髪をいじる。今日の髪型は、彼女にはどうも納得がいかない。
「裁判官はおりませんの?」
「いえ、いますよ」
 ルドルフの答えに、さらに首を傾げる。
「では、その陪審員の方々はいったい何をされますの?」
「……有罪か、無罪かを決めるんです。その被告が、本当に疑われている罪を犯したのか」
「捕まった時に決まっているものではありませんの?」
 メリーアン、と苦笑してルドルフは訂正する。
「その罪を犯している所を逮捕されたのならともかく……。裁判で決まるまではその人が本当に犯罪人かどうか確定されないのは、帝国も共和国も同じですよ」
 言って紅茶を飲む夫を、メリーアンはじっと見つめる。
 彼の苦笑も説明する言葉尻も、どこか鬱屈さを彼女に感じさせるのだ。 (陛下は何か、嫌、なのですわね)
「資格も何もない方々が、決めてしまいますの?」
 確信を抱きながら、話題をつなぐ。表情を観察してみればそれくらいのことはわかる。彼はこの『陪審裁判』の中で、何か関わりたくない事柄があるのだ。
「ええ。成人した市民であれば陪審員として選ばれる権利と義務があると、共和国では考えられているそうですよ」
 メリーアンはじっ……、とルドルフの長いまつげを見つめ、ポンッ、と手を打つ。
「あの、メリーアン?」
「陛下、わたくしがその事件について調べてさしあげますわ」
「え?」
 不意を打たれた表情が意外に間抜けていて可愛らしく、メリーアンはますます楽しくなる。
「陛下はご政務でなかなかお暇が取れませんでしょ?
 調べてわたくし、週に一度報告会を行います。
 たしか日曜日の午後は、いつもご予定がありませんわよね?
 ではその時にでも」
「ええ? でもあの、メリーアン?」
「ああ! そうですわ陛下っ!!」
 妻の叫びに、皇帝は紅茶をこぼしかける。 「な、何ですか! あやうく染みになるところに――」
「わたくし、二週間ほど急病で臥せることにします」
「…………はい?」
「お忍びで共和国の現地に行って参りますね♪」
「な、ちょっと待ったずるいですよメリーアン!! それなら私もSSS(ストーム・ソーダー・ステルスタイプ)で一泊二日ならなんとかっ……」
 一人称が『僕』から『私』に成長した陛下は、しかし行動パターンはそれほど変わっていなかった。
 立ちあがり、頭の中で自分の政務スケジュールで組み立て直していた彼は、ポムッ、とその肩を叩かれる。
「………………」
 護衛の赤毛の男が、無言で首を降っていた。