これは個人的な備忘録で、本来、残すべきものでもない。
そのうち焼くか。
初めて都から出て、叔父の別荘で初めて共生種と同席した日の、夜の話だ。
用を足して戻る途中、回廊から見える夜の海がずいぶんと綺麗なので、庭を散策することにした。
響く波の音。
月のない空を飾る星。
潮騒の風に、闇の庭の花の香。
悪くない。
興が乗って奥へ歩くと、話し声が聞こえた。
木立から窺うと石造りの噴水のそばに、共生種の双頭と少年が見えた。少年は食事の際に給仕をしていた、やたらに美しい奴隷だった。
奴隷の趣味がいい。
しなやかに伸びた両足に両腕、切れ長の瞳は琥珀、大理石の白さの肌に薔薇の頬、小さいが目立つ赤い唇、少女のような顔立ちに少年特有の潔癖さが滲み出る、これぞ美少年という系統だ。
たいして年も変わらんだろうが、細かい所まで気が届き、気持ち良く食事ができた。ああいう奴隷にするには、どう訓練したものだろうな。
……などと考えながら様子を窺うと、どうも雰囲気がおかしかった。
というか、あやしかった。
最初は奴隷の美少年が共生種に捕まっているような気がしたんだが、逆だった。美少年が共生種の胴体を抱きしめて密着し、鷲の頭に口づけた。口づけというか、嘴を噛んでいるような感じだったな。共生種も鼠の頭で首筋を舐めていて、互いに手慣れていた。
邪魔をしてはまずい。
立ち去ろうとした時、少年の声が聞こえた。
「ひどい、どうして許してくださらないのですかっ?」
振り向けば、美少年はぼろぼろ涙をこぼし、共生種をなじっていた。
「愛しているのに、心なんかじゃ足りない、体で、僕は、体でも、全てでっ」
――あなたを愛したいのに。
そう叫び、美少年は家屋へ駆け去って行った。
主人を置き去りとは、親密度が伺えるな。
……さて、見つからないように戻ろう――「待ちたまえ」と共生種から声をかけられた――ということぐらいは考えていたんだ、一応。
のぞき見をした罰、というわけでもないんだが、
「謝罪の気持ちガあるならば、年寄りの話につきあわないカ?」
と共生種の部屋に呼ばれた。
配慮だったのだろう、長衣をまとってくれた。
あの美少年、よく密着できたものだ。
慣れの問題か?
明かりは灯されなかった。
部屋から直接庭へと降りられ、石の卓と椅子が備えられていた。
椅子に座ると、遠く、星の瞬きと白い波頭が見える。
「……愛するとは、君にとってどういう意味ガあるカい?」
いきなり重い。
呟いたのは、鷲の頭。
鼠の頭は無言で杯をあおっている。
長椅子に寝そべった姿勢だが、前足を器用に使って葡萄酒を飲んでいた。
「若輩者ゆえ、大したことは言えませんが、大切にする、大事にするということかと」
「……大切にする、大事にする。では、相手を殺しては、愛するコとにはならないと?」
物騒な話だ。
「神話にも、愛に狂い、恋人を殺す神はおります。相手によるのでは?」
「相手カ。……君は、君は殺すとわカっていて、それでも、相手を愛するカね?」
どうだろう。
「…………わかりません。殺してしまっては、大切にできない」
共生種は笑ったようだ。
鼠の頭が前歯を鳴らして話し出す。
「……あの子にとって、愛することは我らと共にあることだそうだ」
どちらでもしゃべれるらしい。鷲の頭と比べると高い声だ。
「心のみではないよ。身体も、物理的に我らと共にありたいそうだ。
……混ざりたい、とね」
本気か?
「我らは長い時を生きる。
知っての通り、体が古くなれば新しい個体を取り込み、命を継ぎ足す。
しかし取り込む個体は、母体から分離した直後の幼体が大半だ」
聞いてほしい様子だったので、先を伺うことにした。
「何故です?」
「個体はそれぞれ、外から入り込む異物を排除する仕組みを持つ。
我らはその仕組みを意志で制御でき、幼体はその仕組みが未成熟だ。そのため互いを同一と見なし、混ざることができる。
だが、アレは違う。幼体ではないのだ。取り込めばアレの体を作る粒の一つ一つが我らを異物と認識し、攻撃するだろう。
我らは生きるために、アレを排出しなければならない。混ざって半ば溶けるだろうアレの体は、再び外で生きられる状態ではない」
「しかし、成長した者でも取り込める成功例があるのでは?
例えば、あなた方のように」
鼠の頭が目をそらし、今度は鷲の頭が応じた。
「方法ガないわけで、はない。
しカしね、取り込んで、果たしてあの子の意識は耐えうるのだろうカ?」
「……というと?」
「ここで話している私たちだけガ、我らの意識ではない。意志を交わすのに最適な者ガ、表層に出ているだけだ。話題や相手、界ガ変われば、最適な意識が変わる。
しかし、最適でない者たちも含めて、全ての意識ガ体内で繋がり、意志を交わしている。
常にだよ。
眠りカら覚めた直後も、あるいは眠っている際も常に。
話している時も、あるいは沈黙している際も常に」
「……狂うと?」
「前に取り込んだ者は、そうだね。もう、意識を保っていない。
……あの子の意識は、あの子の体に宿ったもの。あの目も首も、腕も指も、独立した肉体も、あの子の意識を形作るもの。
体を失った意識は、我らガ慈しんだあの子だろうカ」
「……あの奴隷とは、長いのですか?」
「まぁ、それなりに」
その後はしばらく黙っていたのだが、こちらからも尋ねてみた。
「あなた方は、あの奴隷をどのように愛したいのですか?」
鼠の頭が応えた。
「意志を持つ者同士が種を跨いで互いを求めれば、生殖は目的とならない。
我らの大半は、アレと長く生活できれば良いのだ。
アレの声の振動は心地よい。
アレの反応は面白い。
アレの意識と意志を交わすのは楽しい。
疑似的な生殖行為で快楽を得る際のアレの表情に満足する」
…………それを言われても困るな。
鷲の頭の目が、明らかに慌てた。
慌てて鼠の頭から、発言権も取ったようだ。
「命尽きる日まで一緒にいられれば良い。
しカしその一方で、尽きる命ならばすぐに取り込んでしまいたい我らもいる。
賭けてみろと。共に、生を共にしたいならば、賭けてみろと。
それであの子を殺すようならば、共に死ねば良い、とね」
鼠の頭が口を開く。
「我らのアレへの愛し方は、まだ定まっていない。数の多さは意見の分散を招く。議会の現状と同じく」
鷲の頭が付け足した。
「いずれ決まるコとだ。
だガ、こうしてあの子のために時間を割き、あの子のために味わう悩みや苦しみの感情も、嫌いではないのだよ。人生を豊かにしてクれるだろう?」
笑いながら言っていると、はっきりわかるくらいには見慣れた夜だった。
あれはのろけ話だった、というのが結論だ。
あれだな、相性が合って一緒にいちゃいちゃできる相手に種は問わないわけだ。
種によっては雌雄の性別もないしな。
……まぁ、考えてみれば、性別が同じだから、種が違うから、程度で相手を恋の対象外にするのは人生の幅を狭めるだけ、ではある。
食わず嫌いは良くない。
今度試してみるか。
以上。
2010.02.14 脱稿