或ル国ノ話

つがい 1



「見ぃーツけタ」
 王子アヴァーツォはこの時、聞こえぬはずの声を聴いた。
 彼が立つのは都市アイラテロブの城壁の上、投石機から放たれた岩が飛び交う下。
 周囲が怒号に満ちる中、――巨大な移動櫓から攻め入らんとする敵兵、火をつけた丸太でもって追い払う味方の兵、その後方で指揮を執る王子たる自分に駆け寄る伝令らの、交錯する声――嗄れた、蛮人訛りで、だがはっきりと喜悦の情を滲ませる、その、声を。
 アヴァーツォは、聴いてしまった。
 誘われるように晴天の空を見上げ、すぅ、と飛ぶ鳥の影を見つけ――気づく、(鳥? いや、大きすぎる)――そしてその鉤爪の先に幾つも垂れ下がった大きな袋の一つが、ひゅう、と、前方、丸太を抱えた城壁の兵たちに落ちた。

 途端。

「油だ!」
「消せ! ちくしょう! 早く、早く消せぇえエエ!」

 丸太を、兵の体を、炎は水が這うがごとく伸び、広がり、城壁の狭い道を灼いて埋める。
 二度、三度と繰り返される、怪鳥による空からの油袋の投擲。片翼ですらヒト一人ほどの大きさであるのに、その羽ばたきは全くの無音。ゆえに、間近い者ほど頭上を襲う異形に気がつけず、炎の舌に焼かれるばかり。
「弓を持つ者は、空に――」
 射よ!、と命じることは、しかし、アヴァーツォにはかなわなかった。
 眼前、怪鳥が迫る。
 直後アヴァーツォを襲ったのは、痛みと衝撃。
 視界が転ぶ。
(痛い、声が、出ない、息、が、何だ、これは、何だ、これは、何だ、いったい!)
 胸に走る激痛に呻き、それでも状況を把握しようと目を開き――異形と、目が、合った。
 洞の穴の如く深く黒く、奇異に大きい眼球。
 びっしり生えた羽毛の顔に埋もれた口が、にぃ、裂けて、わらう。

「あんタダ」

 時、わずか数瞬。
 怪鳥に押し倒されたアヴァーツォは逃れることならず、肩に胸に太い爪を埋められ、その身を持ち上げられた。
「殿下! 殿下!」
「弓はやめろ! 殿下に当たる!」
 怪鳥が大きく羽ばたけば――悪夢なのか、今に至っても全く音がしない――瞬く間に味方の声は遠のき、みるみるうちに体は城壁の外、攻める兵の背後に控えた敵陣が、ぐん、と足下に迫る。

(死――?)

 衝撃。

 大地に押しつけられて怪鳥の爪はさらに食い込み、喉は逆流する己が血に噎せる。
「ヤット、見ツケタ」
 白く輝く太陽を背に、自分をのぞき込む異形。
(喰わ、れる?)
 戦陣の血と死の興奮と、そして深い喜びとを爛々とその黒眼に満たし、ぺろり、アヴァーツォの朱に染まった唇を舐める。
「おれのツガい」
 先に聴いた声はこの異形か、と、アヴァーツォは薄ら寒い悪寒の中、意識を失った。


 『都市国家アイラテロブは不可侵条約を破り国境線の砦を襲撃、守備兵を殺害。
 議院の釈明要求を無視したため、2個師団をもって陥落させる。
 王は宮殿にて服毒自殺、防衛の指揮を執っていた王の長子は生死不明。
 王と貴族の男子は捕虜として都に連行し、指揮官の邸宅にて預かりとする。
 慣例に従い、兵に都市内での略奪を許すが、略奪期間の短縮・市民身分の保証(市民を奴隷としない)などの制限を課す。
 これらの制限は、周辺諸都市への今後の外交戦略を考慮した、議院の指示による』
    ――アイラテロブ戦役の報告書より抜粋