広大な砂漠を、一台のジープが走っていく。道なき道を迷う様子も見せず走り抜けていくその後には、ただ砂塵が舞っていた。
 ジープの進行方向では、太陽がこの日最後の光を投げかけて沈んでいくところである。この世の終わりと言われたら信じてしまいそうなほどの、凄まじい夕灼けだった。ラグナロク――神々の黄昏――なんて言葉が思い浮かぶ。
 ふいに、オレンジ色に燃える球体の前を横切る影があった。きれいなV字の影は、太陽に向かって右手から左手の方へと飛んでいく。
「冬が来るな」
 ジープを運転していた青年が呟いた。細く柔らかい金髪が夕陽の照らされて燃えるよう。薄い翡翠色の瞳は、今はサングラスに隠されて見ることは出来ない。貴族的な美貌だと、容易に想像できる顔立ちの青年だった。
 北の地で夏を越した鳥たちが、南へと帰っていく。
 ガイロス帝国に、冬が来る。
「俺も南に行こうかな」
 助手席で、やはり呟いた青年がいる。運転席の青年とは対照的に、オリエンタルな顔立ちだった。もとは艶やかな黒髪だったのだろうが、すっかり陽に灼けてダーク・ブラウンになっている。紫水晶の瞳は、右のもののみ見ることができた。左はレンズが三つついたスコープの奥に隠されている。
「このままガイガロスでデータ提出やれば、冬の間は帰って来なくてもすむもんな?」
 何をみるともなく前方を見つめていた瞳を、運転手へと向ける。
「アーバイン。データ提出は少なくとも月に一度の約束だろう? 今度だって三ヶ月もサボってくれたから、こんな強硬手段を取らざるを得なかったんだぞ? 来月からは、きっちり提出に来るように」
 呆れた様子でシュバルツは答えた。横目でちらりとアーバインの方を流し見たようだが、運転中ということもあり、すぐに視線は前方へ戻る。
「……面倒くせぇ」
「都合のついたとき、という条件のときに、おまえがこまめにガイガロスに来ていれば良かったんだよ。都合がつかなかったのか、つけたくなかったのかはわからないが、半年も沈黙されたのではさすがに研究チームも焦る。月に一度、という条件を招いたのはお前自身だぞ?」
 サイクスを取り上げられなかっただけ、感謝するんだな、とシュバルツは皮肉に言う。それは皮肉以外の何者でもなかった。アーバインからサイクスを取り上げるという選択肢は帝国軍にもサイクスの研究チームにもなかったのだ。
 ライトニングサイクスは、一度死んだ機体である。
 死んだ、と言うと語弊があるかもしれないが、少なくとも三ヶ月は休止状態のままだった。そこを救ったのが、当時のアーバインの相棒であり、レイヴンとの戦いで帝国軍に代わってキズを受けたコマンドウルフだったのである。
 代わって、と言うのも正確ではないかもしれない。あの折、命を失ったゾイドも兵士も、帝国・共和国を問わず多数存在したのだから。
 それでも、軍籍のないウルフが瀕死に陥ったのには変わりなく、ウルフの戦闘データを移植することによってサイクスが息を吹き返したのもまた事実である。
 ただしこれにはおまけが付いた。ウルフの戦闘データはウルフのものであり、アーバイン特有の癖もサイクスに移植されてしまったのである。無論、アーバインの腕は確かだ。その意味ではサイクスはこれ以上ないデータを得ることが出来た。しかしその反面、かなりのじゃじゃ馬になったのも否定できない事実である。そして、サイクスは、アーバインの新しい相棒になった。
 そんな事情があってサイクスの貸与を行っているのだから、アーバインからサイクスを取り上げるなどという話は提案されようがなかったのである。
「……面倒くせぇ」
 同じ言葉を繰り返して、アーバインはシュバルツから顔を背ける。
 しばらく砂だけの空間を眺めて。
「まったく、面倒なことばっかだぜ」
 両手を天に突き上げながら、そんなことを言う。
「いっそ鳥だったら、こんな面倒から解放されて、自由に空でも飛べるのによ」
 濃紺のグラデーションを目にしながら、おそらくは先程の渡り鳥たちを思い浮かべているのだろう。
「自由、ね」
 ふいにシュバルツが低く呟く。そこには、アーバインのように憧れめいた色はなかった。
 否定的な響きに気付いたか、アーバインは両手を降ろし、再び運転手を見る。
「ンだよ? 何が言いてぇ?」
 いや別に、と答えるシュバルツには、そう言うことでアーバインの興味を増そうとでもいう目的がありそうだ。
「言えよ」
 案の定アーバインは喰らいつく。
「『鳥』は、本当に『自由』なのかな、と思ってね」
「は?」
「鳥が自由だなどと、そもそも誰が言い出したんだろう? 大空をいくら羽ばたいても 日が暮れれば巣に戻らざるを得ない。それは、我々人間とどこか違うか?」
 ジープを道端に止めて、シュバルツは言う。ステアリングに両腕をつき、腕の輪の中に顔を埋めて。
「先程の渡り鳥だってそうだろう? 彼らは夏の間は北の地で過ごし、冬になれば南へと移動せねばならない。それは『自由』ではないだろう?」
「……ご大層なこと、考えるんだな」
 わずかな沈黙の後、アーバインはそう言って再び空を見上げた。
「アンタの論理で言ったら、『自由』な存在ってのはなくなっちまう」
 揶揄するように言ったのは、自縄自縛に陥っているシュバルツを思ってのことか。
「……一つだけだ」
「鳥と同じように、かつてから『自由』の象徴とされているもの。それだけは、『自由』だと私も思う」
「風、か」
 ご名答、と微笑んで、シュバルツはジープを発進させた。
「ただあれも、空気が気圧の高いところから低いところへと流れ込んでいるだけだがな。でも、それは空気に視点を置いたときの話で、『風』になると話は変わる……」
 いつの間にか紺青の闇が辺りを包み、頭上には星が瞬いている。双子の月は、今夜はどこに姿をくらませているのか。
「……一つ、訊いていいか?」
 エンジン音が支配していた沈黙を、アーバインが破った。きっかけは、シュバルツが外したサングラスを差し出したこと。
「アンタの中で、『鳥』はどんな意味を持つんだ?」
 いきなりで、何の脈絡もなく、質問自体に意味があるのかどうかすら危うい問いだった。
 シュバルツの答えは、なかった。


 氷を薄く削ったような月がようやく姿を見せ始めた頃、ジープは帝都ガイガロス郊外のシュバルツ家本邸に辿り着いた。
 一度それぞれの部屋で、先に届いているはずの荷物の確認をした後、アーバインはシュバルツの部屋を訪ねた。夜更けというよりは夜明けに近い頃合で、互いの部屋で朝まで休もうという話になっていたため、シュバルツは一人ブランデーグラスを傾けているところだった。
「何か用か、アーバイン?」
 ふいの客を、それでもシュバルツは歓迎した。新しいブランデーグラスに、琥珀の液体が注がれる。
「ハインツはもう休んでしまったから、これで我慢してくれ」
 ハインツというのは、シュバルツ家に先代のときから仕えている老執事の名前である。
「かまわねぇでいいぜ。一つだけ訊いたら、すぐに帰るから」
 そう言いつつも、アーバインの手はグラスに伸びていた。
「『鳥』のことか?」
 うすうす予測していたのだろう、シュバルツの口許には微笑すら浮かんでいる。
「わかてんじゃねぇか」
「どうしても訊きたいのか?」
「ああ。聞かなきゃ眠れねぇな」
 不退転の姿勢を示すアーバインに、シュバルツは先に一ついいか、と問う。
「どうして私が『鳥』に意味を持たせていると気付いた?」
「なんとなく、だ」
 掌でブランデーを温めながら、アーバインは答え。
「それで不満なら、話題の持ち出し方の不自然さ、とでもいうことにしとくさ。とにかく、俺がそう思ったってだけなんだが……」
 視線で、これでどうだ、と尋ねかける。
 仕方ない、というように溜息を一つ吐いて。
「アーバイン、鳥は風に乗るものか? それとも、風を切るものか?」
 シュバルツの話はそんな問い掛けから始まった。
「んなの、鳥によるだろう?」
「そう。私はね、アーバイン。『鳥』を二つのグループに大別している」
「風に乗るヤツと、風を切るヤツ?」
 それもあるが、とシュバルツは微笑んだ。
「『自由』寄り添うものと、『自由』に立ち向かうものだよ」
 手の中の琥珀を小波立たせて、立ち上る芳香を愉しむ。アーバインに時間を与えるつもりで一口含み。
「『風』が、『自由』だからか」
 納得したようなアーバインに頷きかける。
「そもそも『鳥』というのは、『自由』にとても近いところにいると思っている。そう、『鳥』は『自由』なのだと考えさせてしまうほどには。けれど、だからこそ『鳥』には、他にはない苦悩が存在するんだよ」
「『自由』を手に入れたい?」
「そこで道は二つに分かれる。一つは、『自由』に寄り添うことで、自分は『自由』なのだと錯覚すること。もう一つは、『自由』に立ち向かうことで、『自由』を手に入れようとすることだ」
「成程な。打ち負かすことで相手を手に入れようってわけか。アンタみてぇじゃねぇか」
 アーバインのその言葉は、シュバルツを揶揄するつもりでしかなかったが。それが意外と重い意味を持っていたことにアーバインが気付くのは、もう少し先の話である。
「ともかく、どちらにせよ『鳥』は、常に『自由』を身近に感じている。それは、他者の比ではないだろうね。だが、『鳥』には『自由』を手に入れられない、決して。夜空を飛ぶことは、一部の例外を除いて不可能だし、例外である鳥は昼の空を知らない。そしてどんなに望んだとしても、『鳥』は『空』より高くは飛べない」
「『自由』が『鳥』を苦しめる、ってわけか」
 いつの間にか空になっていたグラスをテーブルに置きながら、アーバインは言う。そのグラスにブランデーを注いで。
「ついでだ。『風』の話も聞いていかないか?」


「『風』は『自由』なんだろ? 他になんか言うことがあんのかよ?」
 首を傾げながら、アーバインは差し出されたグラスを手にした。
「『風』が『自由』なら、『水』の流れはどうだ、アーバイン?」
 答えを提示するのではなく、問いかけによってシュバルツはアーバインに考えさせようとする。
「気圧の高いところから低いところへと、空気が流れ込むのが風だ。ならば、大地の高いところから低いところへと流れ込む水は、『自由』と言えるのか。そうは考えなかったか?」
 シュバルツの指摘に、アーバインの顔に納得したような表情が浮かぶ。
「成程。空気も水も流れ込むことに大差ねぇってか」
 そう言ってアーバインはグラスを揺らす。波立つ琥珀色を楽しそうに眺めて。
「でも、『水』は『自由』じゃねぇな」
 挑むような視線をシュバルツに移す。
「『水』もまた束縛されている。『水』は、流れるだけじゃねぇからな」
 どうして、とシュバルツは問う。正答を導き出した生徒に、理由を尋ねる教師の表情で。
「『水』は、流れ、淀み、蒸発して降り注ぐ。その輪の中から抜け出すことは不可能だ。これを束縛といわねぇで、いったい何が束縛だ? だいたい、液体は容器によって形を変えられ、そのまま個体になっちまえば、そのままの形でいなきゃならねぇ」
 苛立ちをぶつけるかのように、アーバインはブランデーを干した。
 シュバルツの望むままにしゃべらされている、という思いがあった。
「それに!」
 空のグラスがテーブルに音を立てて置かれる。
「『水』は『空』の上じゃ流れねぇ」
 先程のシュバルツの言葉を受けての台詞。
 言い放つと同時に口許に笑みを刻んだのは、シュバルツの顔に意外な表情を見つけたからか。
「だから『水』は『自由』じゃねぇ。でも、『風』は違う。『風』は、『空』の上も我が物顔で吹いている。だから……」
「そう、『風』は『自由』だ。ゆえに、『風』は『鳥』を苦しめる」
 それは逆に、アーバインの言葉を受けての台詞だった。
 シュバルツの瞳に、例えようもない色が浮かぶ。嫉妬にも憎悪にも似た、その色。
「わかるだろう? 『鳥』に『自由』を感じさせるものは『風』なんだ。『鳥』は、『自由』に寄り添うために『風』に乗り、『自由』に立ち向かうために風を切る」
 若草色の瞳が、アーバインの瞳を捕らえる。眼帯を外しているために、菫色のそれは二つとも露になっていた。
「『風』は『自由』に吹き過ぎては、『鳥』の心を掻き乱すだけ掻き乱して去っていく。『風』が吹くたびに、『鳥』は自分の愚かさを思い知らされる」
 シュバルツの言葉の中で、『鳥』は何を意味するのか、『風』は何を示すのか。
「『鳥』が私のようだと言ったな、アーバイン?」
 相手を打ち負かすことで、相手を手に入れようとする『鳥』だと。
 頷いたアーバインに、シュバルツは続ける。
「『風』はお前だ」
 瞳に浮かんだ感情の色。それは憧憬と羨望だった。


 部屋を辞すタイミングを完全に逃して、アーバインは少々困惑する。
 聞いてみれば、シュバルツの告白のような話だったが、その話をねだったのはそもそもアーバイン自身だった。
 何かを言わなければならないような雰囲気だが、いったい何を言えば良いのか。
 と、いきなり、シュバルツが吹き出した。
「……すまない」
 憮然とするアーバインに、笑いの発作から立ち直ってそう謝る。
「お前を、困らせるつもりはなかったんだがな」
 ブランデーグラスをテーブルに置いた手が、アーバインの頬へと伸ばされて。
「お前は何も言う必要はないし、言わなくていい。すまないな、感情を押し付けるような真似をして。不快だったろう?」
 なだめるように頬を撫でるシュバルツの手は冷たかった。
「ほら、もう夜が明ける。部屋に戻って休みなさい」
 確かに、カーテンの外は白々と明るい。だが。
「シュバル……ッ」
 言いかけた口はシュバルツの唇に塞がれて、何を言うことも許されない。
「……前言撤回だ」
 深い口付けから解放されて、アーバインは吐き捨てる。かすかに色付いた唇と潤んだ瞳は、充分に扇情的であったが、本人はそんなことには気付かない。
「アンタは『鳥』なんかじゃねぇよ。『風』を支配する『鳥』なんて、どこにもいねぇだろ。ま、俺も『風』なんかじゃねぇがな」
 ブランデー、ごっそさん、と笑って、アーバインはシュバルツの部屋を後にした。
「それでも、お前は『風』で、私は『鳥』だ」
 聞こえないとわかっていて、シュバルツは言う。
「私がお前を支配しているなど、それは思い違いというものだよ、アーバイン」
 微笑はやわらかく、あたたかかった。


 シュバルツの部屋を一歩出たアーバインは、それ以上歩を進めることなく振り向いた。厚い樫の扉にそっと手をついて。
「俺は『風』じゃねぇし、アンタも『鳥』じゃねぇ。俺たちは二人とも、「人間」なんだよ。なんで、アンタが気付かねぇ?」
 木目の美しい扉は、シュバルツの心のようだとアーバインは思う。
 決してアーバインを入れてくれることはない。
 だからどうした、とも思うが。やけに心が冷えるのはこんなときだ。
 扉は、向こう側の気配すら伝えてはくれない。
 しばらく祈るように目を瞑っていたアーバインは、朝の気配にようやく踵を反した。 

 

初出 「風のように鳥のように」 (2001.12.29発行)
神飛鳥 脱稿 2001.12.29
寿   入力 2010.01.10
※【After Days -皇帝-】前後の時系列。
※神飛鳥(現在は「おお振り」&「バッテリー」サイト[Cross Fire])の許可を得て掲載。
誤字・脱字等の責は寿による。